研究スタッフ便り 蘭語学ことはじめ
9月(1) 「オセアニア大航海展」がはじまる!
民博にきてはじめて関わることになった特別展、「オセアニア大航海展」がいよいよはじまる。メールでやりとりしながら微力ながらもお手伝いさせていただいてきたので、いよいよ形になるかと思うとやっぱり嬉しい。もっとも、現場で追い込み作業に関わっておられる実行委員の方々は今が踏ん張りどころで、そんな感慨にひたっている余裕などとてもないだろう。特別展開幕直前になるたびに、ふだんは夜9時を過ぎると静かな4階が、夜中近くなっても人気が絶えず特別な雰囲気になっていたことを思い出し、その輪の中に入る機会を逃してしまったのをちょっぴり残念に思ったりしている。
そこで、オープニング当日にお手伝いできることなら何でもひきうけますよ、とメールを出した。受付なり、来客のアテンドなり、なにか私でもできることはあるでしょう、と。これは直前まで帰国できない後ろめたさをどうにか償おうというメッセージである。ところが、いつも返事の速い実行委員会の秘書さんから、常にもまして速やかなる回答がきた。
「ではお言葉にあまえまして・・・通訳おねがいします。」
えっ、通訳って?(式典の通訳なんて、したことないぞー。)いまさらできません、とも言えず。えーん、コピーとりとかお茶くみの仕事はないの~?
というわけで、今回は翻訳・通訳にまつわる諸々を。まずは、初公開、私の心の中に潜在する得手・不得手を分析(?)してみることにした。
特展での通訳は英語から日本語ということだが、表をみると「大の苦手」ということになっている。まとめないほうがよかった・・・。
通訳でも翻訳でも、一般的に日本語から英語の場合には、「なんとなくできる」という感覚になりがちだ。これは、できあがった英文が英語を読む人の目にどのようにうつるか、(もしくは、どう聞こえるか)、というのが感覚としてみえないので、できた気分になれる、という事情があるのだろう。一方、英語から日本語の場合には、そもそも英語を理解していないと日本語にならないから、理解していないときには理解していない事実を目の前に突きつけられるし、また訳された日本語の質も無意識に校正の対象になるから、結果として英語への訳の場合より自己評価が厳しくなる。公式の場であれば、なおさらだ。せめて、通訳でなくて翻訳なら・・・。
通訳と翻訳では、関わる作業の内容がかなり違う。
通訳は、同時通訳であれ逐文訳であれ、その場で二言語の話者が理解しあい、話をどんどんすすめることができるようお手伝いをする。現場で辞書を引く時間はないから、事前に関連用語などを把握して、使えるようにしておくのが大事。同時通訳の訓練ではさらに、決まったフレーズの訳し方をパターンとして習得する。日本語と英語のように語順の違う言語間で話者が話すのと同じ速度で訳をするためには、これがとても大事だ。たとえば、日本語で文の最後に述語が出てくるのを待ってから、述語ではじまる通常の英文に直したのでは、とても間に合わない。日本語の頭の部分だけを聞いて、反射的に述語以外の部分を頭にもってくることのできる英語の文形を選ぶことができる、といった特殊技能の習得が必要になってくる。訳文はもちろん完成度が高ければそれに超したことはないが、正しく理解できる範囲で遅れずタイミングよく訳せることが優先事項となる。要約すると、予習が大事。
一方、翻訳は書く仕事だから、机の前にすわって辞書を引き、背景を確かめながら、細部について二ヶ国語の間で正確な行き来ができることが必要だ。さらに、通常の執筆活動に関わる作業ができることが条件となる。推敲、校正、etc.・・・。また、訳された文章の完成度が高ければ高いほどよい。どちらかというと復習が大事といったところか。もっとも、私は翻訳・通訳の専門家ではないから、専門の方からはまた違った見方があるかもしれない。
ついでにいえば、通訳は口を使うから、頭の中の単語と発音につかう筋肉がスムーズに連動していることも大事で、他の筋肉運動同様、つかっていないと後退する。口の筋肉の動かしかたは、話す言語によってかなり異なるので、しばらく話していなかった言語を久しぶりに話そうとすると、油がのってくるまでそれらしい発音にならなかったりする。口を使うかどうか、というのは当たり前すぎて普段あまり考えないが、ちょっと心に留めておくと語学学習などには有効だ。たとえば、外国語の勉強なら、目で読んで、手で書いて覚えるだけでなく、音読するようにするとよい。これは、目で見ている(頭の中で考えている)語や文章を口の動きと連動させ、かつ耳から聞くのに役に立つ。私は外国語教育の専門家でもないから、専門の方は違った見方をするかもしれないが、これは経験的に本当。
話はそれたが、今回の展示関係では、フィリピンのコーナーにおくチラシに載せるための短いエッセイを翻訳した。いろいろな仕事の合間をぬってのやっつけ仕事だったが、これは楽しかった。英語で書かれた内容をそのまま反映し、かつ、スタイリッシュな日本語にする。素材から離れないように、かつ、日本語として読みやすいものを書けるかどうか、というのが腕のみせどころ。タイトルは「エルカブ」。展示担当者がフィリピンの村で手にしたふるい籠にまつわるエピソードだ。内容につきましてはぜひ、展示場へお運びください。現物もあります。
さて、私のひさびさの翻訳作品「エルカブ」の原稿は、添付ファイルになって何軒かの家へと飛んだ。主語の使用は極力避けたし、直訳調の文もないように点検ずみ。「すたいりっしゅ」な日本語になっているはず、今回はきっと評判いいぞ・・・と思うところへさっそく回答メール。
「あのー、日本語では人名を呼び捨てにはしないと思うんですけど。」
やられたぁ。実行委員のみなさま、提出させていただいた原稿には訂正が入っております、ご心配なく。
国立民族学博物館開館三十周年記念特別展「オセアニア大航海展」のページ
そこで、オープニング当日にお手伝いできることなら何でもひきうけますよ、とメールを出した。受付なり、来客のアテンドなり、なにか私でもできることはあるでしょう、と。これは直前まで帰国できない後ろめたさをどうにか償おうというメッセージである。ところが、いつも返事の速い実行委員会の秘書さんから、常にもまして速やかなる回答がきた。
「ではお言葉にあまえまして・・・通訳おねがいします。」
えっ、通訳って?(式典の通訳なんて、したことないぞー。)いまさらできません、とも言えず。えーん、コピーとりとかお茶くみの仕事はないの~?
というわけで、今回は翻訳・通訳にまつわる諸々を。まずは、初公開、私の心の中に潜在する得手・不得手を分析(?)してみることにした。
通訳 | 日本語から英語 | カジュアルな場でなら、そこそこOK。 |
英語から日本語 | 大の苦手。 | |
翻訳 | 日本語から英語 | ネイティブ・チェックを入れられる体制が整っていればOK。 |
英語から日本語 | 分野による。 | |
(注)すべて人文系、もしくは一般向きの日常的な内容の訳の場合。 |
特展での通訳は英語から日本語ということだが、表をみると「大の苦手」ということになっている。まとめないほうがよかった・・・。
通訳でも翻訳でも、一般的に日本語から英語の場合には、「なんとなくできる」という感覚になりがちだ。これは、できあがった英文が英語を読む人の目にどのようにうつるか、(もしくは、どう聞こえるか)、というのが感覚としてみえないので、できた気分になれる、という事情があるのだろう。一方、英語から日本語の場合には、そもそも英語を理解していないと日本語にならないから、理解していないときには理解していない事実を目の前に突きつけられるし、また訳された日本語の質も無意識に校正の対象になるから、結果として英語への訳の場合より自己評価が厳しくなる。公式の場であれば、なおさらだ。せめて、通訳でなくて翻訳なら・・・。
通訳と翻訳では、関わる作業の内容がかなり違う。
通訳は、同時通訳であれ逐文訳であれ、その場で二言語の話者が理解しあい、話をどんどんすすめることができるようお手伝いをする。現場で辞書を引く時間はないから、事前に関連用語などを把握して、使えるようにしておくのが大事。同時通訳の訓練ではさらに、決まったフレーズの訳し方をパターンとして習得する。日本語と英語のように語順の違う言語間で話者が話すのと同じ速度で訳をするためには、これがとても大事だ。たとえば、日本語で文の最後に述語が出てくるのを待ってから、述語ではじまる通常の英文に直したのでは、とても間に合わない。日本語の頭の部分だけを聞いて、反射的に述語以外の部分を頭にもってくることのできる英語の文形を選ぶことができる、といった特殊技能の習得が必要になってくる。訳文はもちろん完成度が高ければそれに超したことはないが、正しく理解できる範囲で遅れずタイミングよく訳せることが優先事項となる。要約すると、予習が大事。
一方、翻訳は書く仕事だから、机の前にすわって辞書を引き、背景を確かめながら、細部について二ヶ国語の間で正確な行き来ができることが必要だ。さらに、通常の執筆活動に関わる作業ができることが条件となる。推敲、校正、etc.・・・。また、訳された文章の完成度が高ければ高いほどよい。どちらかというと復習が大事といったところか。もっとも、私は翻訳・通訳の専門家ではないから、専門の方からはまた違った見方があるかもしれない。
ついでにいえば、通訳は口を使うから、頭の中の単語と発音につかう筋肉がスムーズに連動していることも大事で、他の筋肉運動同様、つかっていないと後退する。口の筋肉の動かしかたは、話す言語によってかなり異なるので、しばらく話していなかった言語を久しぶりに話そうとすると、油がのってくるまでそれらしい発音にならなかったりする。口を使うかどうか、というのは当たり前すぎて普段あまり考えないが、ちょっと心に留めておくと語学学習などには有効だ。たとえば、外国語の勉強なら、目で読んで、手で書いて覚えるだけでなく、音読するようにするとよい。これは、目で見ている(頭の中で考えている)語や文章を口の動きと連動させ、かつ耳から聞くのに役に立つ。私は外国語教育の専門家でもないから、専門の方は違った見方をするかもしれないが、これは経験的に本当。
話はそれたが、今回の展示関係では、フィリピンのコーナーにおくチラシに載せるための短いエッセイを翻訳した。いろいろな仕事の合間をぬってのやっつけ仕事だったが、これは楽しかった。英語で書かれた内容をそのまま反映し、かつ、スタイリッシュな日本語にする。素材から離れないように、かつ、日本語として読みやすいものを書けるかどうか、というのが腕のみせどころ。タイトルは「エルカブ」。展示担当者がフィリピンの村で手にしたふるい籠にまつわるエピソードだ。内容につきましてはぜひ、展示場へお運びください。現物もあります。
さて、私のひさびさの翻訳作品「エルカブ」の原稿は、添付ファイルになって何軒かの家へと飛んだ。主語の使用は極力避けたし、直訳調の文もないように点検ずみ。「すたいりっしゅ」な日本語になっているはず、今回はきっと評判いいぞ・・・と思うところへさっそく回答メール。
「あのー、日本語では人名を呼び捨てにはしないと思うんですけど。」
やられたぁ。実行委員のみなさま、提出させていただいた原稿には訂正が入っております、ご心配なく。
国立民族学博物館開館三十周年記念特別展「オセアニア大航海展」のページ
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