研究スタッフ便り 蘭語学ことはじめ
7月(1) うさこちゃんとカリメロ
ライデンのお店は、ショーウインドウの飾りをこまめに入れ替えるところが多い。近所のスーパーに行く途中に何件か婦人服のお店があって、通るたびに違う服が飾ってある。一度、気に入った服があったので入ってみたけれど、残念ながらどれも大きすぎて私にあうものはなかった。ウインドウの人形は私と同じくらいのサイズに見えるのに・・・と思いながら横目でちらっと見てみたら、たしかにスカートも、ワンピースも、人形のサイズに合わせて後ろでしっかり余らせた分が、あれもこれも全部ピンで留めてある。がっかりしたけれど、お財布の健康のためにはよい。
服のデザインを見るのが好きなので、それでも着付けがくるくる変わる婦人服のショーウインドウを見るのが買い物に行くときの楽しみのひとつとなっている。この間は、とても格好のよい袖なしの夏のワンピースを着せてあった。幸か不幸か私に合うサイズはないだろうから、見るだけ、見るだけ。スーパーで一週間分の買い物をすませ、帰りに少し肌寒いな、と思いながら同じ場所を通りかかると、なんとあのワンピースを着たお人形にもちゃんと薄手のジャケットが着せてあるではないか。こんなちょっとしたことが、なんだかとても嬉しい。
ウインドウの内容をこまめに入れ替えるのは、服屋さんだけではない。勤務先のIIASまでの通勤途上に子供の本の専門店がある。こちらも毎週、季節にあわせ、年中行事にあわせ、はたまたおそらく店主さんの気分にも合わせてウインドウの内容が変わる。これを見るのがまた楽しい。日本でもおなじみの『はらぺこあおむし』や『ピーターラビット』などの絵本が各国語版でおいてあるときもあれば、ハリー・ポッター最終巻解禁日にはハリーポッタースペシャル。この店の前を毎日通るだけで、こどもたちがアルファベットを勉強しはじめるための本からティーンエージャーが読むものまで、オランダ国内だけではなく世界各国の幅広い本のことを知ることができる。このお店のウィンドウも通るたびに必ずチェック。(見るだけ、見るだけ。)
さて、そんなある日、本屋さんのウィンドウになつかしい顔があった。まるくて大きい頭に長い耳がふたつ、まんまるにみひらいた目にむすんだ口。そう、「うさこちゃん」。本の題名は『うさこちゃんとうみ』。
これは、実はオランダ人のディック・ブルーナ原作の作品だ。「うさこちゃん」はもちろん、もともとの名前ではなく、オランダ名は Nijntje (ナインチャ)。オランダ語のうさぎをあらわす語 konijn (コーナイン)と、小さいもの、かわいいものにつく -tje (チャ)「ちゃん」(1月(2)参照)からできた名前だろう。Nijntje に「うさこちゃん」とは、うまい訳だと思う。「うさぎちゃん」や「うさちゃん」ではあまりに響きが一般的すぎて、あのぐっと口を結んだ、自己主張があるようなないような顔につりあわない。そういう観点でいうと、英語名の Miffy (ミッフィー)はちょっと物足りないかも。もっとも、今のこどもたちには、うさこちゃんという和名(?)より、英語のミッフィーの方がなじみがあるのだろうけれど。
それで思い出したが、日本でよく読まれる『フランダースの犬』も、ウィキペディアの記事を見ていたら、最初の翻訳版では主人公のネロは清(キヨシ)、パトラッシュは斑(ブチ)という名前になっていたそう。明治41年(1908年)に出版されたと書いてある。それから来年でちょうど100年、今の日本では、漢字で斑(ブチ)なんて書かれるよりもカタカナのパトラッシュのほうがうんと親しみを感じる、という人の方が多いに違いない。こんなちょっとしたことからもこの一世紀の間に日本人の言語生活にずいぶん変化があったことが垣間見られる。ついでに、日本では人気の『フランダースの犬』、国の文化背景によってずいぶん受け入れられ方にひらきがあるようでおもしろい。興味のある方はぜひ、ウィキペディアの「各国での評価」記事も参照してみてください。(なお、このお話の舞台となっているフランドル地方は、現在ベルギー領です。)
さて、うさこちゃんとの久しぶりの対面の興奮さめやらぬある日、駅でいつも無料配布されている新聞をひらいておどろいた。今度は、「カリメロ」・・・。えーっ、カリメロもヨーロッパ出身だなんて、知らなかった。いわれてみたら名前がカタカナだけど。もしかして、彼もオランダ出身?なんて思いながら少しインターネットで検索してみたところ、次のことがわかりました。
(1) カリメロはもともともイタリアで洗剤のコマーシャルに登場したが、子供たちに人気が出たのを受けてアニメ化した。
(2) その後、日本のテレビ局がイタリアと合作で新しいアニメ番組を製作した。
というわけで、私たちがテレビで見ていたカリメロはなんとイタリア生まれの日本育ち。知らなかった。というより、そんなこと考えたこともなかった。
オランダでは日本で放送がはじまる2年前の1972年からテレビ番組として放送されていたらしい。これは第一版のイタリア版だったと思われる。この番組から「カリメロ症候群」という用語ができてオランダ語の一部になってしまったのが、単なる子供向きアニメ番組のひとつで終わってしまった(?)日本と違うところ。
"Zij zijn groot en ik is klein, en dat is niet eerlijk."
「みんな大きいのに僕だけちっちゃい。そんなのずるいよ。」
自分が小さいので本気で相手にしてもらえないという劣等感 (inferiority complex, オランダ語では minderwaardigheidscomplex)。日本語での『広辞苑』にあたるところのオランダ語の辞書 De Grote Van Dale にも、カリメロ・コンプレックス(Calimerocomplex) という語が1999年から見出し語として掲載されているそうだ。その他にも、カリメロ感情(Calimero-gevoel)、カリメロ効果(Calimero-effect)、カリメロ症候群(Calimero-syndroom)といった表現がオランダ語の書きものにあらわれる。これはオランダでだけみられた効果なのだろうか、それともヨーロッパでは一般的だとか?英語圏ではこれまで聞いたことがないが、母国イタリアではどうなのだか、今度イタリア出身の友達に聞いてみたいと思っている。もし本当にオランダでだけ発達した表現であるのならば、その背景には何があったのか調べてみると社会学的におもしろそうだ。
オランダ語にはまた、カリメロ論争(Calimero-argument) という表現もできた。
"Wat vond jij er van?"
"Nee, wat vond jij er van?"
「きみ、どう思う?」
「いや、きみはどう思う?」
私は覚えていないけれど、番組のなかではそんなやりとりが繰り返し出てきたのでしょうね。
ついでながら、「カリメロ」という言葉が単に「小さい」という意味でつかわれるようになった国もあるそうだ。この名前そのものは、カリメロの生みの親である漫画家トニー・パゴットが結婚式をあげたイタリア・ミラノにある教会の名前サンタ・カリメロからとったとのこと。それがアニメ・キャラクターの名前となってイタリアから日本を経て各国に広がり、オランダ語では精神状態を示す用語になってしまった。グローバル時代の言葉の変遷?というと大げさだけれど、もっと驚かされるのは、そのことばの旅が、私の生まれる前にすでにはじまっていたということ。
カリメロの長い歴史(?)を反映し、社会の認識や考え方がずいぶん変わったことを実感させられる話もある。イタリアでの最初の洗剤の宣伝でのキャッチフレーズは(オランダ語で検索して得られる情報によると)、
"Je bent niet zwart, je bent alleen maar vuil."
「君は黒いんじゃない、汚れているだけなんだ」
というわけで、にわとり一家に一羽だけ生まれた黒いひよこでも、この洗剤で洗えばきれいに白く(黄色く?)なりますよ、という設定だったそうなのですが・・・現在では差別的な表現と考えられ、どの国でもこんな言い方はとても公に用いることはできない。
と、難しい話はまあ、それくらいにして。
フランスではバーバパパに再会したり、フィンランド出張では空港でムーミン一家のお迎えに驚いたり。(フィンランドに行くまでムーミンはカバだと信じてました・・・。はずかし。)子供時代を地方で過ごした私のまわりにも、すでにたくさんヨーロッパがあって、一般の人にとって「外国」がまだまだ遠い世界だった時代にも、情報はすでに地球の上をぐるぐるまわっていたのだな、と改めて認識させられた、うさこちゃんとカリメロとの再開でした。
ブルーナ・ハウスの公式ウェブサイト(オランダ語・英語・日本語) http://www.holland.or.jp/dick_bruna_huis/index
カリメロの公式ウェブサイト(イタリア語・フランス語・英語) http://www.calimero.com/
服のデザインを見るのが好きなので、それでも着付けがくるくる変わる婦人服のショーウインドウを見るのが買い物に行くときの楽しみのひとつとなっている。この間は、とても格好のよい袖なしの夏のワンピースを着せてあった。幸か不幸か私に合うサイズはないだろうから、見るだけ、見るだけ。スーパーで一週間分の買い物をすませ、帰りに少し肌寒いな、と思いながら同じ場所を通りかかると、なんとあのワンピースを着たお人形にもちゃんと薄手のジャケットが着せてあるではないか。こんなちょっとしたことが、なんだかとても嬉しい。
ウインドウの内容をこまめに入れ替えるのは、服屋さんだけではない。勤務先のIIASまでの通勤途上に子供の本の専門店がある。こちらも毎週、季節にあわせ、年中行事にあわせ、はたまたおそらく店主さんの気分にも合わせてウインドウの内容が変わる。これを見るのがまた楽しい。日本でもおなじみの『はらぺこあおむし』や『ピーターラビット』などの絵本が各国語版でおいてあるときもあれば、ハリー・ポッター最終巻解禁日にはハリーポッタースペシャル。この店の前を毎日通るだけで、こどもたちがアルファベットを勉強しはじめるための本からティーンエージャーが読むものまで、オランダ国内だけではなく世界各国の幅広い本のことを知ることができる。このお店のウィンドウも通るたびに必ずチェック。(見るだけ、見るだけ。)
さて、そんなある日、本屋さんのウィンドウになつかしい顔があった。まるくて大きい頭に長い耳がふたつ、まんまるにみひらいた目にむすんだ口。そう、「うさこちゃん」。本の題名は『うさこちゃんとうみ』。
これは、実はオランダ人のディック・ブルーナ原作の作品だ。「うさこちゃん」はもちろん、もともとの名前ではなく、オランダ名は Nijntje (ナインチャ)。オランダ語のうさぎをあらわす語 konijn (コーナイン)と、小さいもの、かわいいものにつく -tje (チャ)「ちゃん」(1月(2)参照)からできた名前だろう。Nijntje に「うさこちゃん」とは、うまい訳だと思う。「うさぎちゃん」や「うさちゃん」ではあまりに響きが一般的すぎて、あのぐっと口を結んだ、自己主張があるようなないような顔につりあわない。そういう観点でいうと、英語名の Miffy (ミッフィー)はちょっと物足りないかも。もっとも、今のこどもたちには、うさこちゃんという和名(?)より、英語のミッフィーの方がなじみがあるのだろうけれど。
それで思い出したが、日本でよく読まれる『フランダースの犬』も、ウィキペディアの記事を見ていたら、最初の翻訳版では主人公のネロは清(キヨシ)、パトラッシュは斑(ブチ)という名前になっていたそう。明治41年(1908年)に出版されたと書いてある。それから来年でちょうど100年、今の日本では、漢字で斑(ブチ)なんて書かれるよりもカタカナのパトラッシュのほうがうんと親しみを感じる、という人の方が多いに違いない。こんなちょっとしたことからもこの一世紀の間に日本人の言語生活にずいぶん変化があったことが垣間見られる。ついでに、日本では人気の『フランダースの犬』、国の文化背景によってずいぶん受け入れられ方にひらきがあるようでおもしろい。興味のある方はぜひ、ウィキペディアの「各国での評価」記事も参照してみてください。(なお、このお話の舞台となっているフランドル地方は、現在ベルギー領です。)
さて、うさこちゃんとの久しぶりの対面の興奮さめやらぬある日、駅でいつも無料配布されている新聞をひらいておどろいた。今度は、「カリメロ」・・・。えーっ、カリメロもヨーロッパ出身だなんて、知らなかった。いわれてみたら名前がカタカナだけど。もしかして、彼もオランダ出身?なんて思いながら少しインターネットで検索してみたところ、次のことがわかりました。
(1) カリメロはもともともイタリアで洗剤のコマーシャルに登場したが、子供たちに人気が出たのを受けてアニメ化した。
(2) その後、日本のテレビ局がイタリアと合作で新しいアニメ番組を製作した。
というわけで、私たちがテレビで見ていたカリメロはなんとイタリア生まれの日本育ち。知らなかった。というより、そんなこと考えたこともなかった。
オランダでは日本で放送がはじまる2年前の1972年からテレビ番組として放送されていたらしい。これは第一版のイタリア版だったと思われる。この番組から「カリメロ症候群」という用語ができてオランダ語の一部になってしまったのが、単なる子供向きアニメ番組のひとつで終わってしまった(?)日本と違うところ。
"Zij zijn groot en ik is klein, en dat is niet eerlijk."
「みんな大きいのに僕だけちっちゃい。そんなのずるいよ。」
自分が小さいので本気で相手にしてもらえないという劣等感 (inferiority complex, オランダ語では minderwaardigheidscomplex)。日本語での『広辞苑』にあたるところのオランダ語の辞書 De Grote Van Dale にも、カリメロ・コンプレックス(Calimerocomplex) という語が1999年から見出し語として掲載されているそうだ。その他にも、カリメロ感情(Calimero-gevoel)、カリメロ効果(Calimero-effect)、カリメロ症候群(Calimero-syndroom)といった表現がオランダ語の書きものにあらわれる。これはオランダでだけみられた効果なのだろうか、それともヨーロッパでは一般的だとか?英語圏ではこれまで聞いたことがないが、母国イタリアではどうなのだか、今度イタリア出身の友達に聞いてみたいと思っている。もし本当にオランダでだけ発達した表現であるのならば、その背景には何があったのか調べてみると社会学的におもしろそうだ。
オランダ語にはまた、カリメロ論争(Calimero-argument) という表現もできた。
"Wat vond jij er van?"
"Nee, wat vond jij er van?"
「きみ、どう思う?」
「いや、きみはどう思う?」
私は覚えていないけれど、番組のなかではそんなやりとりが繰り返し出てきたのでしょうね。
ついでながら、「カリメロ」という言葉が単に「小さい」という意味でつかわれるようになった国もあるそうだ。この名前そのものは、カリメロの生みの親である漫画家トニー・パゴットが結婚式をあげたイタリア・ミラノにある教会の名前サンタ・カリメロからとったとのこと。それがアニメ・キャラクターの名前となってイタリアから日本を経て各国に広がり、オランダ語では精神状態を示す用語になってしまった。グローバル時代の言葉の変遷?というと大げさだけれど、もっと驚かされるのは、そのことばの旅が、私の生まれる前にすでにはじまっていたということ。
カリメロの長い歴史(?)を反映し、社会の認識や考え方がずいぶん変わったことを実感させられる話もある。イタリアでの最初の洗剤の宣伝でのキャッチフレーズは(オランダ語で検索して得られる情報によると)、
"Je bent niet zwart, je bent alleen maar vuil."
「君は黒いんじゃない、汚れているだけなんだ」
というわけで、にわとり一家に一羽だけ生まれた黒いひよこでも、この洗剤で洗えばきれいに白く(黄色く?)なりますよ、という設定だったそうなのですが・・・現在では差別的な表現と考えられ、どの国でもこんな言い方はとても公に用いることはできない。
と、難しい話はまあ、それくらいにして。
フランスではバーバパパに再会したり、フィンランド出張では空港でムーミン一家のお迎えに驚いたり。(フィンランドに行くまでムーミンはカバだと信じてました・・・。はずかし。)子供時代を地方で過ごした私のまわりにも、すでにたくさんヨーロッパがあって、一般の人にとって「外国」がまだまだ遠い世界だった時代にも、情報はすでに地球の上をぐるぐるまわっていたのだな、と改めて認識させられた、うさこちゃんとカリメロとの再開でした。
ブルーナ・ハウスの公式ウェブサイト(オランダ語・英語・日本語) http://www.holland.or.jp/dick_bruna_huis/index
カリメロの公式ウェブサイト(イタリア語・フランス語・英語) http://www.calimero.com/
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