あいまいさの文化(2) ─ ベルリン・ポツダム広場 ─
|
20世紀初頭、ポツダム広場はドイツ帝国最大の目抜き通りだった。だが20世紀後半は、30年もの間ベルリンの壁にふみつぶされていた。それでも広場は生きていた。壁が撤去されると、その跡地にポツダム広場は、まったく新しい威容をあらわした。
現代建築の粋を集めたこの広場を見ようと、毎日多くの人が訪れる。だが、ここに場所を示すものはなにもない。空間を構成するのは、光、影、水、切り取られた空と建物の高低差である。人の視線は、水のなか、半覆いの天空、携帯電話の相手を求めてさまよう。
東にも西にも帰属することを拒んだポツダム広場は、いまもどこにも帰属していないようだ。世界の中心にあって、すべてのものを吸引する。無色で空っぽで、もっともあいまいなものにみえる。
国立民族学博物館 森明子
現代建築の粋を集めたこの広場を見ようと、毎日多くの人が訪れる。だが、ここに場所を示すものはなにもない。空間を構成するのは、光、影、水、切り取られた空と建物の高低差である。人の視線は、水のなか、半覆いの天空、携帯電話の相手を求めてさまよう。
東にも西にも帰属することを拒んだポツダム広場は、いまもどこにも帰属していないようだ。世界の中心にあって、すべてのものを吸引する。無色で空っぽで、もっともあいまいなものにみえる。
国立民族学博物館 森明子
毎日新聞夕刊(2005年12月21日)に掲載