フィジーの海辺の村では、集団で漁労に出かけることがある。何日も前に村の長から申し伝えられるその日には、出かける者と見送る者。漁場は岬をまわったその向こう。サンゴ礁の白い砂浜が広がり、村の黒い砂浜とは捕れる魚の種類が違っている。
普段使わないモーターボートで現地に着けば、息つく間もなく男たちはスピアガンを手に潜水、女たちは腰までつかって浅瀬の獲物をさがす。ボートの周りには、次から次へと捕れた魚が積もってゆく。獲物を置くと、すぐにくるりと背を向け、まっすぐ海に引き返す。一方で、焚(た)きつけ用のココナツの外皮を集めに行く者、火をおこす者。
お昼の楽しみは焚き火で焼いた新鮮な海産物。漁は重労働だけれど、非日常の解放感からか、働いた充実感からか、皆、いつもよりうきうきした雰囲気で、そんなことは忘れてしまう。殻からはずされたらタコのようにみえるおおきなシャコガイ、かけらをちぎって海水で洗い、「食べてごらん」。空は隅々まで限りなく青い。
村に帰りつけば獲物は参加者皆で平等に分けるのが伝統。そして明日から村はまたいつもの暮らし。後日この日のことを語る村人の苦肉の英訳は「ピクニック」。なるほど。
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