キリスト教の宣教師が南太平洋に足を踏み入れたとき、島によっては人食いの慣行などがあった。島に住み込み福音を伝道する仕事は、彼らにとっては野蛮な地への冒険とさえいえた。
彼ら宣教師の伝道の結果、太平洋の国々では、宗派の違いはあるにせよ、キリスト教は熱心に信奉されている。
宣教師が来た当時、太平洋の人々は男女ともに、上半身裸であることは珍しくなかった。そのため、信者となった者は、熱帯の気候には不釣り合いな衣服をまとうことで、キリスト教への入信を視覚的に表現したとさえいえた。
現在、私が調査しているフィジーの村々では、いまでもキリスト教を祖先がいかに受け入れたのかについて、さまざまな伝承が残されている。興味深いことに、そうした物語のなかには、宗教的衣装が村にもたらされた由来が語られることがままある。
民博のオセアニア展示場には、南太平洋の人々が現在着用している教会衣装について紹介するコーナーがあらたに設けられた。トンガ、ハワイ、クック諸島の教会衣装の共通性と違いを通して、南太平洋の地において、キリスト教がいかに受容されたのか、その一側面をみることができる。
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