15年ほど前、アマゾンの村ではじめて調査をおこなったとき、たくさんの日用品が自前で作られていることに印象づけられた。家具や道具、容器など、わたしたちが店で買う品の多くが、手作りなのである。もっとも、村人によれば、以前はもっと多くの品が自家製だった。たとえば、布を織り、衣服を縫う技術は、すでに失われていた。
物作りの技術が失われるきっかけは、おもに既製品の流入である。ありきたりな既製品が、村人にはしばしば宝物にみえてしまう。彼らは作り手の視点から既製品をながめ、自分の制作能力を超えたその品に驚きとあこがれを感じるのである。
物作りの技術が失われると、後戻りのきかない変化が起きる。商品を買うお金を手に入れるため、村人は町に出向いて農産物を売ったり、牧場で賃金労働者として働いたりする。その結果、生活様式や価値観が変化していく。
ただし、村には既製品が入り込めない領域もある。祭礼の会食用の食器は粘土やヒョウタンの実で作られているし、祭壇に奉納するろうそくも獣脂でできている。
長年培われた技術に根ざした、つつましいがしたたかな物作りが、今後も続くことを願わずにはいられない。
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