旅・いろいろ地球人
悪人、悪玉
- (2)平和な「反抗」 2014年2月20日刊行
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太田心平(国立民族学博物館准教授)
風刺劇のひとこま=韓国楊州市で2001年、筆者撮影韓国・朝鮮の伝統村落では、「ムラ」の広場が、庶民の余興の場だった。そんな余興の代表格は、風刺劇だ。登場するのは、僧侶や、両班(ヤンバン)ら支配層の人びと。普段えらぶっている彼らの実生活がいかに堕落しているか、どれほどばかげているかを、ユーモアたっぷりに演じる喜劇作品が、特に人気だった。
劇といっても、演じ手と観客との境は曖昧である。互いに語りかけ、やじを飛ばし合うなかで、ストーリーは進んでゆく。
どうして、こんな風刺劇が盛んになったのか。理由は、村落社会の厳格な身分格差にある。一般の民は日々酷使され、鬱憤をためこみがち。だから、演劇という仮想現実のなかで、抑圧者に言いたいことを言う。そうやって、心のガス抜きをするのだ。
仮想現実の中で抑圧者に反抗するというのは、韓国・朝鮮の風刺劇だけにみられる現象ではない。祭りや儀礼で反乱を演じることで逆に平素の上下関係を維持し、社会秩序を保つという風習は、世界各地で報告されてきた。
物騒なほどヒートアップしがちなこうした行為だが、韓国・朝鮮の場合は、参加型喜劇というほのぼのした形で進む。ムラ中が笑顔であふれる、どこまでも平和な「反抗」なのである。
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