旅・いろいろ地球人
悪人、悪玉
- (7)内なる魔 2014年3月27日刊行
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平井京之介(国立民族学博物館教授)
僧院での筆者の師匠= ラオス・ビエンチャン郊外の寺院で2002年、筆者撮影シャカムニが悟りを開いて仏陀(ぶつだ)になろうとしたとき、マーラと呼ばれる魔神が現れ、さまざまな手を講じて邪魔をした話は、つとに有名である。美しい娘で誘惑したり、怪物で怖がらせたり、武器を降らせたり、暗闇にしたりした。マーラはサンスクリット語で、「死に至らせる者」という意味だ。日本語では魔羅(まら)と書き、その略が魔である。シャカムニを苦しめる魔神として話に登場するけれど、そこに表現されているのは、彼のこころの内にあったもののことではないだろうか。
少し発音は異なるが、ラオス語にも同じことばがある。仏教的な文脈で多く用いられ、修行を邪魔するもの、煩悩のことをマーラと呼ぶ。
ラオスの僧院で出家修行をした折、わたしはマーラの存在をいやというほど思い知った。座禅を組み、呼吸を整え、精神集中しようとすると、空腹、眠気、性欲、怒り、疑念などが自分の内側から噴き出してくる。ふと邪念が起こることを魔が差すというが、まさに差しっぱなしであった。
上座部仏教では、人間はこれを断ち切ることでこころに平穏を取り戻し、幸せになれると説く。なにも修行僧に限ったことではない。苦しみの原因の多くは我々の内にある。魔の存在を自覚することが幸せへの一歩だろう。
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