旅・いろいろ地球人
悪人、悪玉
- (5)明治の善玉NPO 2014年3月13日刊行
-
出口正之(国立民族学博物館教授)
一新講の判取帳=栃木県立文書館蔵鉄道がまだ、東京の新橋から横浜までしかなかった明治6年(1873年)、東海道筋の宿屋をメンバーとする「一新講」という「講」が誕生した。現代風に言えば、業界団体あるいはNPOといってもよい組織だ。
当時、伊勢神宮などに参拝するために信者たちの間で参拝資金を集める講集団が各地にあった。それに呼応するかのごとく、宿屋側もいくつかの講を結成して「善玉」の宿屋だけを講員とし、安心・安全のサービス提供を心掛けた。これまた現代風に言えば「業界自主基準」を定めて、それを公開したわけである。規則には、顧客へのサービスの質の担保、衛生面の徹底、法令の順守があり、現代の業界自主基準に比するものだった。宿屋のリストは「判取帳」と呼ばれる携帯型の冊子で宿場町ごとに記載され、旅人はこの冊子を持って旅に出た。
すさまじいのは基準違反の宿屋が出たときの対応だ。顧客の扱いに悪評が立てば警告、改善しなければ除名のうえ、新聞で公告するというもので、罰金規定まであった。こうした厳しい規則を持つ講員である目印に、一新講の大きな看板が作製され、宿屋はそれを軒先に提示していた。
明治の昔から、善玉は、善玉だけで固まる姿勢を見せることによってその信用を保とうとしていたのである。
シリーズの他のコラムを読む