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先住民ホピの銀細工
- (2)民族ブランドの創出 2018年3月8日刊行
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伊藤敦規(国立民族学博物館准教授)
ホピ様式創出以前に作られた銀細工の熟覧調査の様子=米国・北アリゾナ博物館で2015年12月、筆者撮影
米アリゾナ州北東部のホピ保留地には約9000人のホピの人々が暮らしている。各国のオリンピック競泳チームなどの合宿地で、病院や大型商業施設が存在するフラッグスタッフ市までは150キロほどの距離だ。
ホピの人々が銀細工作りを始めたのは19世紀末で、その後の半世紀近くは、砂型を用いる鋳造、鏨(たがね)を打ってデザインを刻む技法などで装身具を作っていた。その頃は近隣の他の先住民の制作様式と大差がなく、そのため、民族集団ごとの美術工芸品ブランド創出を計画していた連邦政府の目に留まった。
1930年代は鉄道などが敷かれて人の往来が活発になり、先住民の物質文化は土産物として売買されはじめた時期だった。民族ごとの特徴を差異化して消費者に明快に提示できれば市場が活性化し、翻って僻地に暮らす先住民の経済状況が向上する。それが狙いだった。だが大戦勃発により銀細工師が戦地に赴き、金属不足も生じてブランド計画は頓挫した。
戦後にホピの芸術家が中心となり保留地に職業訓練学校を開校し、そこで退役軍人に銀細工制作を教えはじめた。教室は別の組織として継承され、49年ごろに2枚の銀板を重ねる技法と、メンブリス遺跡の土器の模様の組み合わせからなるホピ様式が生まれた。
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