旅・いろいろ地球人
ルーマニア社会主義
- (1)1983年 絶望と諦観と 2019年8月3日刊行
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新免光比呂(国立民族学博物館准教授)
チャウシェスク大統領が国民の血と引き換えに建設した大宮殿=ルーマニア・ブカレストで2007年、筆者撮影
ルーマニアを初めて訪れたのは1983年夏。世界的宗教学者エリアーデの母国ルーマニアの宗教への関心からだった。しかし、そこにあったのは、チャウシェスク独裁下での人びとの絶望と諦観だった。
ルーマニアとの出会いは、パリから乗り継いだブカレスト行き列車のなかですでに始まっていた。ウィーンから2人のルーマニア人男性が車室に乗り込んできたのだ。
まだルーマニア語のわからない私は、英語とドイツ語でたどたどしい会話を始めた。彼らはウィーンでの国際会議に出席していた神学者と数学者だという。話が弾むにつれ、生々しく語られたルーマニアの政治的状況は想像以上に厳しかった。秘密警察の監視の目がいたるところで光っている、それも普通の市民の姿で当局へ通報するのだという。出会う人を信用してはいけないと。
列車は深夜の国境を越え、トランシルヴァニアをひた走る。やがて列車が駅に近づくと、神学者は先に降りるという。霧に包まれたホームにはレインコートの長い髪の女性が佇んでいる。私たちに別れを告げた彼がホームに降り立つと、女性が駆け寄って彼の腕のなかに飛び込んだ。
初めてのルーマニア滞在はロマンチックな情景で幕を挙げた。
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