旅・いろいろ地球人
ルーマニア社会主義
- (4)1989年、民主革命 2019年8月24日刊行
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新免光比呂(国立民族学博物館准教授)
独裁者チャウシェスクの墓=ルーマニア・ブカレストで2011年、筆者撮影
1989年の冬、世界は緊張につつまれた。ティミショアラというルーマニア西部の町で、市民が虐殺されたというニュースが流れたのだ。
すでにハンガリーとオーストリア国境に東ドイツ市民が押しかけ、ベルリンの壁が開かれ、プラハではビロード革命が起きていた。しかし、ルーマニアは変わらないだろうと多くの人が思っていた。
だが事態は急変する。例のごとく動員をかけて何万もの市民を共産党本部前の広場に集めたチャウシェスクが演説を始めると、やがて広場はブーイングに満たされた。テレビカメラはひきつる表情の大統領をとらえていた。まもなく大統領一家をのせたヘリコプターが共産党本部を飛び立った。そして数日後、チャウシェスク夫妻は捕らえられ、処刑された。
待ちに待った解放の瞬間であったが、同時にさまざまな疑惑が生まれた。政権ナンバー2であったイリエスクが大統領となったことからソ連によるシナリオがあったのではないかなど。そのため革命はやがて「盗まれた革命」とさえ呼ばれる。
それでも自由化は自由化であった。だが、同時にそれは競争の自由、そして失業の自由でもあった。
革命後まもなく、チャウシェスク元大統領の墓前には人があつまり、失業なき社会主義時代を郷愁をもって振り返るようになった。
シリーズの他のコラムを読む
- (1)1983年 絶望と諦観と
- (2)ブカレストでの夏季講座
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- (4)1989年、民主革命
- (5)桃源郷を取り巻く現実