旅・いろいろ地球人
移動手段の文化史
- (4)四輪駆動車 2020年4月25日刊行
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飯田卓(国立民族学博物館教授)
悪路を走る自動車隊=タイ王国チェンマイ付近で1958年、梅棹忠夫撮影
戦後になると、山岳地帯での学術調査では、馬やロバに代わって四輪駆動車が使われるようになる。2度の世界大戦の野戦に応用された技術を利用して、三菱自動車の前身がジープの生産を始めたのが1953年。57年には、梅棹忠夫を隊長とする大阪市立大学東南アジア学術調査隊が三菱ジープの自動車隊を編成した。
6人の隊員に対して3台の自動車を用意し、隊員全員が運転免許を取得したというのだから、自動車に対する大きな期待がうかがえる。3台のうち1台はハシゴ車で、森林調査における高所の足場となった。図書もふんだんに積載し、移動図書室または移動研究室と呼ばれた。
自動車は移動宿泊施設でもあった。海外で現金を使うために、当時の日本国民は大蔵省から外貨割当てを受けなければならなかったが、探検隊はじゅうぶんな割当てを得られないなどで経費節約を余儀なくされた。このため、自動車を宿泊施設としても使えるようにして、出費を少しでも抑えようとしたのである。
梅棹の生誕100年を記念する国立民族学博物館の企画展「知的生産のフロンティア」では、梅棹の東南アジア調査も紹介している。新型コロナウイルスの収束を待って開幕するので、お待ちいただきたい。
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