旅・いろいろ地球人
コロナ禍とインド
- (4)岐路に立つ宗教文化 2020年7月25日刊行
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三尾稔(国立民族学博物館教授)
拝礼用聖水の散布。力を宿す水を通じた神との交流だ=インド・ウダイプル市ジャグデーシュ寺院で2004年8月、筆者撮影
筆者の調査地であるインドのラージャスターン州はロックダウン解除後も全ての宗教施設を6月末まで閉鎖した。他州では有名寺院や施設が再開した例もあるが、境内に入れる信者数を限ったり、聖なる物や空間への接近を制限したりしている。集団礼拝が実際にクラスター感染につながった例もあり、慎重に対応せざるを得ないのだ。
インド庶民の信仰の特色は、抽象的な神を個人が内面で信仰することよりも、具体的な聖なる存在に実際に触れ、その力に与(あずか)るのを重視する点にある。人びとはかけがえのない聖なる存在との交流のため日々寺院などを参拝する。聖なる力が強まる祭礼では数万の群集がともに神的存在を実感する。これは多数派のヒンドゥー教だけでなく、イスラームの聖者信仰などにも共通する特色だ。
コロナ禍は神と人の交流の核心を直撃した。感染防止のため集団での儀礼も、聖なる像や遺物に不特定多数が触れることも許されない。病に苦しむ者に開かれるべき寺院などを災厄のさなかに閉じるという矛盾に誰もが当惑する状況が続いている。
これだけ長く全土で宗教施設が閉鎖され、信仰に関わる行動の変容を求められ続ける経験はかつてない。神との交流もバーチャルなものに変わってゆくのか。それとも古い絆が力強く復活するのか。コロナ禍は宗教文化をも岐路に立たせている。
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