南半球では、クリスマスが真夏にやって来る。大晦日(おおみそか)も同じだ。マダガスカルの漁村では、夕涼みがてら互いの家々を訪問し、ゆく年を惜しみ来る年に期待をふくらませる。おとなであれば、親しい者と酒を飲むし、子どもであれば、同い年くらいの者たちで集まってにぎやかに過ごす。
大晦日が満月なら、とりわけにぎやかだ。月明かりが、電灯のない村を活気づけるからである。誰かがラジカセを戸外で鳴らしはじめると、しめやかに飲んでいた者たちも顔を出し、月見酒となる。酔いがまわって踊りが入り、子どもたちは泣いたり叫んだりで手がつけられなくなる。カウントダウンはおこなわれない。新年だろうがなかろうが、もはや誰も気にせず、騒ぎは高潮のまま明け方まで続く。
こんなにぎやかな大晦日を迎えてから、数年のちのこと。祭りの気分で、わたしは村に向かった。ところが、大晦日は満月の夜ばかりではない。真夏だから、台風の来る年もある。この年の大晦日は、暴風雨が過ぎ去るまで、村の人たちは家のなかにかたく閉じこもっていた。
大晦日のにぎわいは、その年の天気次第だ。それは、来る年の運を占うかのようである。
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