旅・いろいろ地球人
伝統と電灯
- (6)自ら管理 2012年4月12日刊行
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三島禎子(国立民族学博物館准教授)
電気が通った村=筆者撮影アフリカはセネガル。数年前にやっと首都から800キロの村に電気が通った。これはすごいことである。夜でも本を読んだり、書いたりできる。私たちにとって、電気とはまず明かり。明かりは夜の生活を昼の延長にしてくれるものにほかならない。
しかし、村の生活はなかなか明るくならなかった。なんと電力計がないのだという。電力計は電力消費を電気会社が管理するものである。人びとは電力計があればすぐにでも電気を引くのにとぼやいていたが、私にはものごとの順序が逆転しているように思えてならなかった。
そうこうするうちに、村の家々には電気が通った。しかし、村の夜はあいかわらず暗い。明かりは昔通りの灯油ランプ。ぼんやりとした明かりの下で夕食をとり、寝るまでは中庭で過ごし、トイレへはランプを携えて行く。旅行鞄(かばん)の中を探るのも、虫やカエルが隠れてはいないかと恐る恐るである。実際のところ、明かりを煌々(こうこう)とつけると、虫という虫が集まってくるのだ。では電気は何に使われるのか。冷蔵庫である。水や果汁を凍らせて、これを売って女性たちは小銭を稼ぐ。
電力計をにらみながら、採算があうミニビジネスをする妻たちはしたたかである。
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