旅・いろいろ地球人
ルーマニア社会主義
- (3)クルージュでの夏期講座 2019年8月17日刊行
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新免光比呂(国立民族学博物館准教授)
ハンガリー系の村の日曜日=ルーマニア・トランシルバニアで1995年、筆者撮影
宗教ではなくフォークロア(民俗)を研究すると決めたはいいが、ルーマニア語の習得はなかなか思うようにはいかない。三度目の夏期語学講座は、トランシルバニアの中心都市クルージュで参加することにした。
クルージュはハンガリー人が数多く暮らす街である。そもそもコロジュバールというハンガリー名もある。そこでルーマニア社会主義体制下での民族問題を知った。トランシルバニアでのハンガリー文化の抑圧である。社会主義思想は民族の分断を超えて労働者という階級で国際的に連帯するのではなかったか。
しかし、社会主義体制というものが、実際には強烈に民族主義的色彩をもつことを知る。ワルシャワ条約軍がチェコスロバキアの人びとを戦車で粉砕した1968年チェコ事件に不参加を表明したチャウシェスクは、社会主義体制の分断を期待する西側諸国にとって願ったりかなったりだった。だが、それはクールな政治的判断であると同時に、ルーマニア人の反ロシアという民族感情を国内統一に利用した民族主義的政策の一端でもあったのだ。
ルーマニア人の統一を図る一方で、チャウシェスクは少数民族の抑圧政策を進めた。ハンガリー語の教育機関が廃止され、言語的同化が進められていたのだ。
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- (1)1983年 絶望と諦観と
- (2)ブカレストでの夏季講座
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