国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

旅・いろいろ地球人

コロナ禍とインド

(2)伝染病の記憶  2020年7月11日刊行

三尾稔(国立民族学博物館教授)


婚儀前の天然痘女神への拝礼。中央の岩がご神体=インド・ウダイプル市で2012年3月、筆者撮影

春の大祭ホーリーの7日後、北部インドの街や村ではシーターラー女神への礼拝が行われる。女性たちは早朝冷水で沐浴し、女神の祠を参拝する。この日は調理用の火の使用は禁忌で、家族は前日作り置いた冷たい食物を食べる。米を乳に浸したキールという料理が供されることも多い。これも体を冷やす効果がある。

その名が「冷やすもの」を意味するこの女神、実は世界中で猛威をふるった天然痘の現れとされる。種痘により1970年代に絶滅したが、この病は高熱と体じゅうにできる丘疹が特徴で伝染力が非常に強く、絶命する者も多かった。延命しても丘疹の跡は瘢痕(はんこん)として一生残った。

女神の神体は瘢痕を思わせるデコボコの岩である。人びとは熱病の女神を「冷たい」と名づけ、例年流行が拡大する酷暑期の前に体を冷やす儀礼を行ってきたのだ。暴れれば恐ろしい女神の力を宥め、それにすがって幸福を願う点にヒンドゥー教の特徴が現れている。病が絶滅した今も儀礼は世代を越えて継承され、婚礼の前にも新郎新婦や家族の無病息災を祈るため必ず礼拝がなされる。

天然痘女神信仰には、居丈高に病の制圧をめざすのではなく、人の無力を謙虚に認め、病苦を記憶し病と共存しようとする姿勢が読み取れる。現代文明に衝撃を与えたコロナ禍はいかに記憶されてゆくのだろう。

シリーズの他のコラムを読む
(1)外出規制の影響
(2)伝染病の記憶
(3)地方都市の現状
(4)岐路に立つ宗教文化