民族学者の仕事場:Vol.1 佐藤浩司―住居と記憶
[15/17]
佐藤 それはまさに関根康正さん(日本女子大現代社会学部教授)の「原風景論」の原点ですよね。定住社会を前提にするとその議論が成り立つんですけれど、それでは移動を余儀なくされたらどうなるのかなと思うんです。日本の都市社会は少なくとも定住を前提にできないでしょう。原風景論は都会人の憧れではあるけれど、詰めていくと身動き取れなくなりますよね。
佐藤 うーん・・・。これまで調査してきた家はほとんどそれに近いはずですが、だけど、その可能性について今考えても仕方がないと思う。そうした思想に私が違和感を感じるのは、なにか事件がおきるたびにそれが家の間取りの問題にされたり、人間の不祥事の責任をとって家が壊されたり、家と人間のそういう依存関係をいったん解消すべきだと思っているからです。石造文化圏だったらはじめからありえない関係ですよね。すくなくとも、記憶装置になるような家は個人の巣を超えています。
佐藤 物理的な空間を記憶装置にはしないということでしょうね。狩猟採集民の時間の観念は現代人のような直線的、連続的なものではなくて離散的と表現されていますし・・・。定住している農耕民の場合でも、個人の記憶の価値を保証しているのは、やっぱり社会の記憶なんだろうという気がします。個室という概念はないし、空間そのものはどこの家でも基本的に変わらない。少なくとも、変わらないことを理想として建てられている。自分の家とよその家を識別する視点はどこにあるかというと、そこに宿っている祖先にあるわけです。
佐藤 インドネシアのスンバ島では、家の屋根裏に祖先の霊魂が宿るという話をしましたけれど、具体的にスンバの家の屋根裏にあるのは、祖先伝来の金の耳飾りだったりします。レティという島だと、死んだ人をイメージする木彫を屋根裏の棚に置くんですよ。スラウェシ島のトラジャでは、死んだ人をかたどった木彫を作って墓に置きます。遺影は、たまたまそういう技術ができたからでしょうけど、祖先を記憶する品々を家にまつっておくということは普遍的に見られるのではないでしょうか。ただそれは、ある特定の誰かの記憶として残していくというよりも、むしろその家に属する集団全員が共有する記憶として残していくことにこそ意味があった。だから、たしかに家という概念にはとても執着して、家が壊れたらまた苦労して同じ家をつくるわけですけれども、物理的な構造物として、その空間にこだわっているかというと、あんまりそうでもないような気がします。
柳田国男の『明治大正史 世相篇』(1931)に警察に保護されたホームレスの老人の話が出てくるのですが、老人が持っていたのは風呂敷に包んだ45枚の位牌だけだったとあります。しかし今は、電車の忘れ物に身元不明の遺骨が増えている時代ですからね。位牌とか墓とか、面倒な事にはできればかかわりたくないというのが都市に住む人間の本音じゃないでしょうか。だから、これからの宗教の役割は、死後の世界を保証してくれることじゃなくて、死後の憂いを断ってくれることだと私は言っているんですけどね。
柳田国男の『明治大正史 世相篇』(1931)に警察に保護されたホームレスの老人の話が出てくるのですが、老人が持っていたのは風呂敷に包んだ45枚の位牌だけだったとあります。しかし今は、電車の忘れ物に身元不明の遺骨が増えている時代ですからね。位牌とか墓とか、面倒な事にはできればかかわりたくないというのが都市に住む人間の本音じゃないでしょうか。だから、これからの宗教の役割は、死後の世界を保証してくれることじゃなくて、死後の憂いを断ってくれることだと私は言っているんですけどね。
※写真 トラジャの墓地 1991
佐藤 少ないでしょう。日本は木造だからスクラップ・アンド・ビルドをやってきた。日本の建築事情こそ近代的な理念にまさにぴったりだったのかと思うことがあるんです。近代というのは、自分の意志で何でもできる、空間も社会も変えられる、そういう発想でやってきましたね。人間的な意志で全部作っていく。家だって新しい家を自分の力で建てていくものと今の日本人は思いますよね。だけど、ヨーロッパ的な、過去を背負っているような人たちにとっては、近代が過去との決別を意味したとしても、現実はそういう真っ白なキャンバスに絵を描いていくようなものではなかったような気がします。