国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.2 岸上伸啓―イヌイットとブリジッド・バルドーの関係

[4/14]
岸上 今だったらみんなが驚くような話なんですけど、なんでイヌイットがこの予備調査のときの84年に猟にあまり行かなかったかというと、実は83年に、フランスの女優のブリジット・バルドーを中心にして絶滅危惧種を救おうという不買運動がおこりましてをしまして、ヨーロッパ経済共同体がイヌイットからアザラシの毛皮を買いとることをやめちゃったんですよ。ハドソン湾会社とか生協がアザラシの毛皮を買い取っていたらもっと猟に行ってたと思うんですね。
ぼくが調査をはじめた年に、ちょうどその影響がもろに出て、猟に行かなかった。これはまさに今いうところの世界システムですよね。ヨーロッパでの活動とか経済活動が、イヌイットの生活に影響を与える。

─ 基本的な話だけど、アザラシの肉は食べるでしょ? 毛皮は売るわけですか。
岸上 ええ、そうですね。毛皮は売って、肉をみんなで食べる。食糧なんですよ。
毛皮を売ったら現金が入りますよね。その現金でライフル銃を買ったり鉄砲の玉を買ったりガソリンを買ってまた猟に行くわけです。だから、ある時点において生業活動の中に現金収入というのがもう組み込まれている。毛皮交易というのが1920年代からはじまってるんですけれども、それがもう彼らの生活の一部になっていたんですね。毛皮交易があるから、伝統的な、自分たちの好きな生業がつづけられる。キャンプ生活がつづけられるという体制だったんですよ。ところが、いきなりその現金収入が無くなったわけでね。別に補助金とかはありますけど、ひとつの主な収入源が無くなってしまったんで、大きな影響が出ちゃったんですね。それ以降、同じ状況がずっと今もつづいています。

─ 今はアザラシの毛皮はもう売れないんですか?
岸上 国内では売れるんですが、外国ではワシントン条約にひっかかるし、EUはもう買い取りなしです。今は、アザラシをとるのはあくまでも食べるため。

─ 自分たちでしか食べないんでしょ。
岸上 おいしいものではありません(笑)。それから、皮は自分たちの靴とか手袋とかをつくるために使ってます。
 
 

─ だから、猟はするんだけど、交易ができなくなったということ。
岸上 そういうことですね。で、その翌年、また夏に行ったんですが、そのときには、そのような状況下でもアザラシの肉や魚が村人に行きわたるように、政府の制度を利用して狩猟漁労活動を促進していこうというプログラムが、カナダ政府ではなくてケベック政府によって承認されて、動きはじめていたんです。ハンター・サポート・プログラム、つまり狩猟者支援プログラムというもので、ランドクレームに基づいてケベック政府が金を出すのですが、その金を人口比に基づいて14の村に毎年何万ドルかずつ渡すんです。そのお金は、たとえば村人が狩猟漁労を促進するような事業に使ってよろしいと。で、このアクリビク村は何をしたかというと、まず大型ボートを買いました。その大きなボートにハンターが乗り込んで、村人のために食糧をとってくる。とってきたものはみんなに平等に分配する。もしくはハンターが狩ってとってきたカリブーの肉やホッキョクイワナを村のお金で買い取って、それを再分配するという形で村人に食糧が行き渡るようにするということをはじめたんですよ。

─ そういうのは誰のイニシアティブですか? 村長というのはどういう役割ですか?
岸上 これが難しいですね。イヌイット社会はもともと家族とか親族集団がもっとも大きな単位で、一番影響力があるのは、おじいさんとかお父さんとか、長男です。その範囲を超えるとほとんど影響力がないんです。平等なんです。だから、そういう意味では政治組織とか官僚組織とかには馴染めないんですけどね。1960年代以降定住化をはじめてから、行政機構がはいりましたので、なんでもいいから代表者を選べというふうになっていったんですね。だけど今は選挙で交渉能力とかやる気のある人がリーダーとして選ばれています。

─ 報酬とかもでる?
岸上 でます。村長さんだけはフルタイマーでものすごくいい報酬をもらってます。当時でも年収で5万ドルとか6万ドル。村会議員の人はパートタイムですから月100ドルから200ドルの手当てだけですけど。

─ 村会議員もいるということは、村議会まであるんですか。
岸上 ええ、こういう部屋に集まって週に一回程度。その議員はというと、各拡大家族の代表者がでてきています。だいたい同じ人数の拡大家族だったら、家族から一人か二人の代表者というふうに、非常にうまく力のバランスが保たれているんです。それが、思った以上に決定力があるんですよ。誰を村に雇うかとか、どういうふうに予算をつかうかとか。報酬は少ないけれども、村に対する影響力はけっこうつよいんですよ。それから建設とかパートタイムの仕事は、仕事のない人にちゃんと割り振っています。まんべんなくみんなに仕事とかお金がいくように、村長さんも村会議員も気を使ってましたね。

─ 意外と政治力があるということですね。それで、86年に本調査に行ったときには、テーマは絞っていたんですか。
岸上 はい。社会変化でした。親族関係の変化をみると。非常にオーソドクスなインタビューを中心にした社会組織に関する調査と、狩猟漁労活動への参与観察を中心に行いました。聞き書き以外に具体的に何をやったかというと、どういうふうに狩猟をするのか、とったものはどういうふうに分配されているか、それからさっきいったハンター・サポート・プログラムの実施のされ方などを研究しました。

─ さきほどおっしゃったキャンプにも、一緒に行ったんですか?
岸上 行きました。当時は若かったですから、まだ平気でした。

─ 相当厳しいところなんですか。
岸上 というよりも、食べ物は生肉・生魚だけとか、狩猟に行くときも夏だったらツンドラの中を歩いていくんですね。で、とった獲物をかついでまたもってくるわけでしょ。もう体力的についていけないんですよ。冬は逆にスノーモービルを使ってどこでも行けますんで、楽なんですけれども。でもまあ大変ですね。

─ そのときはまったく生肉・生魚だけですか。
岸上 パンとかもっていきますけど、お金がないと買えませんから、結局、主食はどうしても地元で取れる魚とか鳥とかカリブーの肉だけになりますね。

─ どんな鳥ですか?
岸上 ハクガンとかカナダガンとか、冬は雷鳥ですね。みんな雷鳥を生で食べてるんですよ。日本では天然記念物になってるんですけどね(笑)。ぼくはみてるだけでしたけど。雷鳥は薬になる鳥で、ものすごく意味があって、あんまり人にあげたくないんです。だから、ぼくが食べたくないといったら、みんな喜んで食べてました。カナダガンとかハクガンとかはでっかい鳥ですから、足の部分なんかはニワトリみたいなものです。これはうまいだろうと思って食べたら、野生というのは癖がありますね。匂いとか硬さとか、チキンとは味が違う。ところが、イヌイットの人たちは、チキンよりも野生の癖があって硬いのがすきなんですよ。でもね………。食べ物がないんで生肉は食べますけど、とったばかりの血のしたたる生肉、とくにアザラシのは、よほど腹が減ってない限り、なかなか食べられなかったですね。冷凍すれば、匂いはなんとか消えるので、ある程度平気なんです。だけど、生っていうのはやっぱりきついですね。カリブーはうまいですけどね。

─ とったばかりは、まだ温かい………。
岸上 まだ温かいですよ。食べてたら口や手はみんな血だらけですよ。すごみがあります。

─ もしかして今はハンバーガーのほうがいいんですか。
岸上 子供たちはハンバーガーですね。おじいちゃんおばあちゃんは今でも肉類中心ですし、中年の人でもやっぱり、みんな子供のときに食べてますんで、生肉を食べます。だけどどっちが好きかとなると、ハンバーガー食べたりピザ食べたりする人が多くなりました。だけど86年当時はまだ肉のほうが主流でした。
ひとつの問題は、ぼくの下宿先が比較的保守的な狩猟漁労を中心とした家族だったんですね。二世帯だったんですけど。そういう意味ではほかのところよりも生肉を食べる量がちょっと多かったということがあったかもしれません。だから村全体がはたして同じようにしているかどうかはわからなかったですね。

─ 向こうの狩猟というと、イヌぞりなんかを想像するんだけど、そのころはなかったわけですか?
岸上 ええ、70年代を境にもうないですね。今は観光用とか、もしくは自分の楽しみのために使うということで復活してますけどね。犬を飼うためには、何が問題かというと、ひとつは餌なんです。ものすごい量の魚とか、ものすごい量のセイウチの肉とかが必要なんですよ。イヌをキープするためにはその分生産をあげなくちゃならない。それから、イヌというのは冬は確かに使えるけれども、夏場は役に立たないわけです。で、村の周りにおいといたら、子供に噛みついたり、疫病がはやったりするでしょう。それで、だいたい、離れ小島において、週に一回餌をやりにいくんですよ。それでも冬になって海に氷が張ると、みんなぶわ~っと走って村に戻ってくるわけです。三人ぐらいのハンターはイヌぞり隊をつくろうとしてイヌをもってましたけれども、現実的には狩猟には使われてなかったです。

─ かなり獰猛そうですね。
岸上 ええ。はっきりいって獰猛です。だけど、これがおもしろいことに、一部の人がペットとしてイヌを飼いはじめたんです。80年代です。家の中で飼ったりね。
それまでイヌなんていうのは、いうことをきかせるために、餌を与えなかったり、与えても少量だったり、殴ったりして使ってたんですね。でもペットは違うんです。もうぜんぜん付き合い方が違う。やっぱり可愛がるための動物ですからね。だから、動物と人間の関係もかなり変わったなあという気もしましたね。
 

─ 親族関係を中心にした社会変化の研究というテーマですが、岸上さんの関心は最初から原型の再構成というのか、もともとの生活はどうだったかというのを確かめるところにあったんですか。
岸上 そうです。だけども、現実にみる社会というのは、違ってました。それで、その86年の本調査のときに方針を変えました。やっぱり現在をみてそれを記録に残すのが一番賢明かなと思ったんです。お年寄りにインタビューをしても、1920年代ぐらいまでしかさかのぼらないんですよ。しかもこの村には好都合なことにハドソン湾会社の交易所がありまして、1920年代の終わりぐらいから50年ぐらいまでの、交易所の日誌があるんですよ。誰がきてどういう交易をしたという日誌です。また、政府の公文書が残っていて、それを使ったら、1920年ぐらいまでは情報がさかのぼれました。
 だけど、次の段階ではやっぱり現実社会をみたほうがいいと考えました。それで、もう徹底的に参与観察を中心にした方向に変えました。

─ そのハドソン湾会社というのは、いつまであったんですか?
岸上 今でもあります。名前を変えてノーザンストアといいますが。昔は毛皮交易会社でしたが今はもう小売店経営だけです。毛皮交易が終わったのは83年ですけれども、実際にハドソン湾会社が手を引いたのは70年代です。

 
【目次】
海洋民族学への夢祖母の貯金をかてにカナダ留学いよいよイヌイットの村へイヌイットとブリジッド・バルドーの関係命名法の不思議都会のイヌイットイヌイット放送キリスト教徒としてのイヌイット生じている社会問題イヌイット・アート先住民の住み分けとヨーロッパ人との接触「ラッコとガラス玉」展―先住民の交易活動イヌイットのわれわれ意識多様化する生活