民族学者の仕事場:Vol.2 岸上伸啓―先住民の住み分けとヨーロッパ人との接触
[11/14]
岸上 先住民を大きく分けると、まず「ファーストネーションズ」、いわゆるインディアンがいます。それからイヌイットやインディアンといった先住民とヨーロッパ系の混血で、しかし先住民文化をもっている人たちがいて、メティスといいます。
岸上 ええ、まさにそうです。混血化した集団です。それからイヌイット。これが大きな三つのカテゴリーです。
もともと生態的には非常におもしろいことがありまして、イヌイットという人たちのは原則として木の生えているところには住んでないんです。ツンドラ地帯、森林限界以北にイヌイットが住んでいます。森林以南はインディアンなんです。それには何十もグループがあるんですけどね。生態的な住み分けがかなり長い間あったんですね。だから、イヌイットとほかの先住民の混住というのはものすごく少なかったんです。
もともと生態的には非常におもしろいことがありまして、イヌイットという人たちのは原則として木の生えているところには住んでないんです。ツンドラ地帯、森林限界以北にイヌイットが住んでいます。森林以南はインディアンなんです。それには何十もグループがあるんですけどね。生態的な住み分けがかなり長い間あったんですね。だから、イヌイットとほかの先住民の混住というのはものすごく少なかったんです。
岸上 ええ、カリブーを追ってツンドラにくる人もあったんですが、そこに住むことはなかったんですね。そういう意味ではイヌイットはちょっと変わってる。
一方インディアンといわれた人たちですが、森林限界以南ですから当然入植者がくるわけです。ヨーロッパ農耕民や牧畜業者が移ってくるんですよ。そうすると、あるところでは追い出されてしまう。またあるところは都市のすぐ近くにリザーブがある。一般にイヌイットにくらべて、ヨーロッパ系の人との接触がある。もっというと1960年代以前からリザーブをでて都市に住む人が多かったんです。
だから現在ではファーストネーションズの人たちの50%はもう自分たちの故郷に住んでないです。都市に住んでます。残りの50%国が指定したいわゆるリザーブもしくはもともとの故郷に住んでいる。
一方インディアンといわれた人たちですが、森林限界以南ですから当然入植者がくるわけです。ヨーロッパ農耕民や牧畜業者が移ってくるんですよ。そうすると、あるところでは追い出されてしまう。またあるところは都市のすぐ近くにリザーブがある。一般にイヌイットにくらべて、ヨーロッパ系の人との接触がある。もっというと1960年代以前からリザーブをでて都市に住む人が多かったんです。
だから現在ではファーストネーションズの人たちの50%はもう自分たちの故郷に住んでないです。都市に住んでます。残りの50%国が指定したいわゆるリザーブもしくはもともとの故郷に住んでいる。
岸上 もう1500年代からですね。フランス系の人たちが先に入ってきてますからね。ただ、だんだんに西のほうに行くと、白人の入植は遅くなりますけどね。それでもバンクーバー地域でも1700年代にはもう入ってますね。
岸上 ラブラドールみたいなところだったら1700年代から接触がありますけれども、あとは、遅いところは1920年代までなかったんです。人と人を介して物は入ってきてますよ。だけど直接的な接触はものすごい遅かったですね。第二次大戦後ですね。
岸上 地域がまた違って、それは北アメリカ大陸の北西海岸のほうのファーストネーションズなんです。たとえば1700年代に北西海岸のほうを運航した探検家がいますよね。その人たちは海岸部で北西海岸先住民の人たちにでくわしているんです。絵を残しているんですが、それをみますと、トーテムポールというのが一、二メートルぐらいと低い。ないところもある。ところが、民族学者のフランツ・ボアズが1900年代の初頭前後に記録に残したものをみると、十メートルを越えるようなトーテムポールがいっぱいある。
それから、当時は政府には禁止されていたとしても、裏に隠れてけっこう大規模なポトラッチがおこなわれていた。大規模というのは、小麦粉の袋とか、洗面器とか、やかんとか、ヨーロッパの交易品を主人が買ってきて、それを招待した人たちにプレゼントとして配るということだったんです。ボアズのころには、すでにそうだった。伝統的な魚とか油とかも配られていたんですけれども、ボアズがみたものはそうだった。あまりにも規模が大きいので、それをそのまま過去に投影して、交易によってヨーロッパの製品が入ってくる前にも、そういうふうな儀式があって、同じように祝宴がおこなわれていただろうと考えたわけです。ファーストネーションズの社会は、放蕩社会とか、すごく見栄をはる競争的な社会であるとか、大規模な散財を行う社会であるというふうに描き出したんですね。
それから、当時は政府には禁止されていたとしても、裏に隠れてけっこう大規模なポトラッチがおこなわれていた。大規模というのは、小麦粉の袋とか、洗面器とか、やかんとか、ヨーロッパの交易品を主人が買ってきて、それを招待した人たちにプレゼントとして配るということだったんです。ボアズのころには、すでにそうだった。伝統的な魚とか油とかも配られていたんですけれども、ボアズがみたものはそうだった。あまりにも規模が大きいので、それをそのまま過去に投影して、交易によってヨーロッパの製品が入ってくる前にも、そういうふうな儀式があって、同じように祝宴がおこなわれていただろうと考えたわけです。ファーストネーションズの社会は、放蕩社会とか、すごく見栄をはる競争的な社会であるとか、大規模な散財を行う社会であるというふうに描き出したんですね。
岸上 はい。あれはつくってもらったものですが、どんなにさかのぼっても、あの規模のものは1800年代です。1700年代にはなかったですね。
- 【目次】
- 海洋民族学への夢|祖母の貯金をかてにカナダ留学|いよいよイヌイットの村へ|イヌイットとブリジッド・バルドーの関係|命名法の不思議|都会のイヌイット|イヌイット放送|キリスト教徒としてのイヌイット|生じている社会問題|イヌイット・アート|先住民の住み分けとヨーロッパ人との接触|「ラッコとガラス玉」展―先住民の交易活動|イヌイットのわれわれ意識|多様化する生活