国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.2 岸上伸啓―都会のイヌイット

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─ もし大学とかに進学するときはどうなるんですか?
岸上 モントリオールとかオタワへ行きます。

─ 都会へ行った人は、また帰ってくるんですか?
岸上 これは難しいですね。
今ぼくが研究しているのはモントリオールのイヌイットなんです。1991年にカナダで初めて先住民人口統計という調査が行われたんですが、そのとき、イヌイットと名乗る人たちはカナダに49,000人いて、そのうちの約8,000人が都市に住んでいるという統計が出ました。
しかし、人類学者も、政府の役人も49,000なんていう数字はだれも信じてないです。当時わかっていたのは35~36,000人はいるということ。北ケベックと今のヌナブトと、北西準州とラブラドールにとりあえず34,000人は住んでますからね。後の13,000人はどうなってるんだと。ものすごく差がありますよね。自分自身は100パーセントイヌイットであるという人もいれば、父親は白人で母親はイヌイットだから両方の血を引いているという人もいるんですよ。自分もイヌイットの子孫だけど、今はもうカナダ人だという人もいるわけですね。マルチプル・エスニシティというんですか、複数のアイデンティティをもつ、そういう人がイヌイット人口統計のなかに入ってるんですよ。
だから、たぶん純粋なイヌイットというか、自分自身がイヌイットでしかないという人は36,000人なんだろうけど、イヌイットの血をひいてるけどカナダ人なんだという人も入れたら、四万何千人いるということなんだと思います。はっきりいってわかんないんですよ。同じく都市にも8,000人いますが、そのうちの半分以上は、父親は白系カナダ人で、母親はイヌイットというふうになってまして、たぶん両親ともイヌイットという人は都市人口の半分くらいだと思うんですね。
でも、ということは、4,000人は都市に住んでいるんですよ。それはものすごい数です。人口が少ないですからね。10パーセント以上ですからね。当時の統計では20パーセントといわれていましたけど。

─ 都市にいるのはどんな人たち?
岸上 一番多いのは、南にある先住民関係の会社、政府関係で働いている人。それから、病院に行ってる人、刑務所に入ってる人、学校教育を受けている人。それから、村がいやで逃げ出した人や、もしくは刑務所を出たけれども帰りたくない人で、本当にホームレスの人たちもいます。ホームはあるんだけども、福祉金で生活しているという人もいます。もしくは学校教育を受けて、いい仕事があると思って残っている人もあるし。そういう意味では多様な理由で多くの人が南に残っています。

─ 最初に話しておられましたが、80年代にはイヌイットの研究は自分たちでやり、イヌイットのアイデンティティを確立するという運動があったわけですよね? 研究をしようという組織もあった。それは現在のカナダではどうなっているんですか。四万数千人もいたら、もしこれを組織したらすごいことになるでしょう。
岸上 自分たちが調査するからおまえたちは入るなという傾向は、年々つよくなっています。その一方で、やっぱりイヌイットの人たちも、自分たちだけではできないことも知っています。だから、あるときは政府の力を借りる。あるときは大学の力を借りて、協力関係を結びながらやっていく。でも、たぶん将来的には自分たち以外の研究者をなるべく排除したいと考えているでしょう。
今は、先住民の本質主義といわれるものがすごくて、おれたちの文化はこうなんだと、おまえたちに理解ができるわけがないということで、同じ研究対象に対して、事実認識を含めて、先住民の意見・解釈と大学の研究者の考えが対立しています。
だけど、どっちが正しいかということは、これはもう政治的な問題とか倫理の問題になりまして、まあ、イヌイットの人たちはこういっているな、ということでやっています。こういう状況があるために、将来的にはますます外部の研究者は研究できなくなると思います。

─ 彼らも研究所とかをもってるのですか?
岸上 ええ、ありますけど、主力は伝統文化を残すということです。
彼らは、自分たちが以前とは大きく変わってプレハブに住んでいるということを知ってるわけですよ。たまにはビフテキを食べたり、あるときはハンバーガーを食べたりしていることも知ってるわけです。
だけど、ではイヌイットとは何かというときに、雪の上に住んでいるとか、狩猟に行くとか、狩猟の技術とか、昔語りとか、イヌイット語とか、そういう、これがイヌイットだ、他の人たちはもってないだろうという文化要素がありますね。これを記録して、残しておきたいというのがあります。そういうものに関してはものすごく力をいれて、政府からお金をもらってきて、大学からも協力を得て、いわゆる博物館づくりと昔の情報のデータベースづくりを積極的に進めていますね。

─ 各地にそういう博物館があるのですか?
岸上 各村にひとつというのがもともとの構想でしたけど、お金がないですからね。だいたい、小さな地域ごとにひとつずつという形です。それから、各領域にひとつずつ、北ケベックだったらアバタック文化研究所というように、ラブラドールとかヌナブトにも、大きな研究所があります。お年寄りの語りをビデオとか、テープにとる。踊りとか歌を伝承していく。そして、学校教育とか成人教室で次の世代に伝えていくとかといったプロジェクトを組織しています。

 
【目次】
海洋民族学への夢祖母の貯金をかてにカナダ留学いよいよイヌイットの村へイヌイットとブリジッド・バルドーの関係命名法の不思議都会のイヌイットイヌイット放送キリスト教徒としてのイヌイット生じている社会問題イヌイット・アート先住民の住み分けとヨーロッパ人との接触「ラッコとガラス玉」展―先住民の交易活動イヌイットのわれわれ意識多様化する生活