国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.2 岸上伸啓―イヌイット・アート

[10/14]
─ 今のハンターは現金はどうやって得るんですか。83年以前、かつて毛皮が売れているときはそれで現金を得ることができましたよね
岸上 方法は三つぐらいあります。
まずひとつは生活補助金、それか福祉金ですね。この現金を狩猟のために投入する。
二つめは、家族。自分の妻や娘たち息子たちが定職をもっていれば、そこから資金援助を得る。
三つめは彫刻とかの手工芸品がありますね。それを生協に売ってお金を稼ぐ。
それからほかには夏だけの季節的な建設の仕事があります。村の道路を直したり、家を建てたり。そのときにひと月ぐらい集中して仕事をする。

─ そういう技術をもっている人もいるということですか?
岸上 大工の指導者はケベックのフランス系とかイギリス系の人が来て、そのアシスタントとして荷物を運んだり、金槌を打つぐらいですね。ただイヌイットの人たちは創意工夫の天才でして、いろんなものからいろんなものをつくり出します。そういう意味では大工仕事なんかもっとも楽な仕事じゃないですかね。それで、あまった建材で小屋を建てるんです。キャンピング・ハウスを。
─ そういえば、民博にイヌイット・アートが寄贈されたでしょう? あれはプロのアーティストの作品ですけど、その下のアマレベルのアーチストがたくさんいるということですか。
岸上 はい。います。ハンターという人たちはすべからく彫ります。半日かければ大きさとしては10センチから30センチぐらいのものを彫れます。そうして、生協へもって行くとだいたい30ドルから100ドルで買い取ってくれます。それはたばこ銭とかガソリン代ぐらいにはなりますね。
ところが、生協のほうも買い取ったはいいが、南で売れなくなったんですね。あまり質の悪いものは市場がもう飽和状態なんです。90年代に入ってから、安いものは買い取らないようです。ほんとうに腕のいい人のものはいい値段で売れるけれども、一般のハンターは、カービング(彫刻)してもあまりいい収入にならないという状況がおこりはじめています。

─ カービングはわりと伝統的なシャーマニズムの世界をモチーフにしてつくってますよね。それはキリスト教とは抵触しないのですか。
岸上 ひとつは、カービングが商業化されたのは1949年以降なんです。何がおこったかというと、イヌイットが自発的につくって売ったんじゃなくて、ある人がみつけて、売れるといって仲介者として売り出したんですね。
そのときの最初の仲介者とか政府の役人が考えたのは、売れるものをつくるしかないと。現在のイヌイットの生活を彫り物にするのではなくて、昔の、伝統的な、イヌイットらしい作品を市場が求めていると。だから動物を彫ったり、狩猟漁労している姿を彫ったり、シャーマンの姿形を彫れば、イヌイットの作品として売れる。ということで、意図的にそういうふうにしたんですね。
一方買い手のほうも、そういうものをエスニック・アートとして喜んで買った。ほんとうはイヌイットは別のものをつくりたかったのかもしれないです。ほとんどの作品としてはクマとかアザラシとかセイウチとか、それから狩猟漁労しているようすであるとか、母親と娘の関係、キャンプ生活、シャーマン、そういうものしかつくらなくなっているんです。

 
【目次】
海洋民族学への夢祖母の貯金をかてにカナダ留学いよいよイヌイットの村へイヌイットとブリジッド・バルドーの関係命名法の不思議都会のイヌイットイヌイット放送キリスト教徒としてのイヌイット生じている社会問題イヌイット・アート先住民の住み分けとヨーロッパ人との接触「ラッコとガラス玉」展―先住民の交易活動イヌイットのわれわれ意識多様化する生活