国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.2 岸上伸啓―多様化する生活

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─ なるほど。最近では、暮らしぶりは情報化で変わってきているということでしたが、その中で岸上さんが関心をもっているのはどういうところですか。
岸上 一言でいえばグローバリゼーションということですが、ぼくらと同じような道具を使い、同じような家に住み、同じ時間に住んで、お金を使っているということは事実ですね。それでも、どうしてもぼくたちとは違うと思うような価値観というか、世界観が残りつづけている。やっぱり違った形でイヌイットという文化が常につくりつづけられていますね。
ぼくがやりたいことのひとつは、現代のイヌイット民族誌を書きたいということです。学術書よりも一般の人に読んでもらう民族誌を書いてみたい。しかも単に先住民を賛美するんじゃなくて、自殺の問題とか麻薬の問題とかという、負の部分も含み込んだ民族誌を書いてみたい。それと、イヌイットのあいだにもかなり多様性が出はじめているんですね。イヌイットにとっても選択肢があるし、選択肢を許すようになってきているということがある。都市に住む人たちの中にもリッチな人もいれば、ホームレスもいる、というふうにいろんな人がいます。村でもおなじように、多様性が生まれつつあります。
じつは、彼らはハンターであるのが一番大事なことだと思ってるんです。だけどハンターであるためにはお金がないといけない。ほかに定職をもっているリッチな人たちが狩猟漁労が一番できるんですね。狩猟漁労を一番やっているのは、一番モダンな仕事についている人たちなんです。そうじゃないと狩猟漁労ができない。矛盾でもあり、ある意味では共存できるというか、それが現実の彼らの生活なんですね。都市のイヌイットの人たちの生活も組み込んで、そういう面も取り込んだ現代イヌイット民族誌を書きたいんです。

─ 一番モダンな仕事をしている人たちが一番伝統的な生活をできるというのは、日本でもありますよね。
最後にもうひとつお聞きます。岸上さんは「先住民による海洋資源の利用と管理」という共同研究をなさっていましたが、これは北方のハンターたちを太平洋全体の中で位置づけるという仕事なんですか。主に漁業権と管理の問題ですか。
岸上 最初は「海洋資源の利用と管理」というテーマで立ち上げたんですけど、ぼくは温帯とか熱帯とか、南の方のことがぜんぜんわからなかったんです。共同研究をすすめているうちに、地域によって資源の利用や管理の仕方が根本的に違うことがわかってきたんですね。
概略を申しますと、まず生態系をみた場合、北方は、動物の種類がものすごく少ないんです。たとえばサケとか、アザラシとか種の数が少ないですね。ところが一種あたりの個体数は多いんですよ。そういう生態系の特徴があります。で、南の方に行けば行くほど、とくに熱帯では種の多様性が大きくなります。だから、数の多少は別としても、資源としての多様性がものすごくあるんです。
つまり、人間にとって資源としての選択肢は、南ではいっぱいある、北では少ないという特徴があります。利用の仕方をみると、イヌイットの場合は、原則として同じ種を持続的に使おうという傾向があります。サケだったらサケをとる。少なくなったら、別の地域にいってやっぱり同じサケをとるというふうになります。それも主に自家消費のためです。
ところが、フィリピン・インドネシアなど南の方は、原則として、漁業は食べるためよりも売るための商業用の捕獲なんです。
ぼくがこのプロジェクトをやりはじめたきっかけというのは、研究をなんらかの形でイヌイットの人たちに還元できる方法がないか考えたことなんです。伝統的な手法の人類学の勉強から出発して十数年間イヌイットの人たちにお世話になって、一方的にデータをもらって発表してそれで食べてきたわけですから。
 

資源の管理の問題は、イヌイットの伝統的な知識だけでは解決できないものをいっぱい含んでいます。だから、なにかぼくたちが役に立てるのじゃないかと思って、ひとつの恩返しの意味も込めてこのプロジェクトをはじめました。今後も、自分たちの勉強したことが、データをそのまま返すだけじゃなくて、何か向こうの人たちの生活とか、問題解決に寄与できるようなことができたらいいなと思ってます。
 
(完)
【目次】
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