国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.1 佐藤浩司―住まいの調査手法

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─ 住まいのすべてをリストアップして調査するというのは、アメリカのオレゴン大学の人たちが、昔「デザインサーベイ」という方法で、日本の金沢などの調査したことがありましたよね。それともうひとつ有名なのは、以前、京都大学の西山卯三さんたちが行った町家の調査がありますね。そういったものとの違いはどういう点にあるんですか?
佐藤 川添登さんたちが京都のCDI(Communication Design Institute)でおこなった生活財生態学などもそうですが、自律的な社会が前提としてあって、その社会関係が空間上のデザインに反映されているはずだ、あるいは、反映されるべきだという発想が元にあります。そういう前提にたって、建築のなかでも現場とのつながりをたいせつにしたいと考える人びとは、社会と空間の関係を類型化する作業を試みてきたのです。CDIの生活財生態学は、家の中にある物を全部、悉皆調査していますが、こうした手法は建築学者だった今和次郎の考現学に遡るものですね。
─ 悉皆調査というのは?
ソウルの夜景
佐藤 調査者の意思をできるだけ排除して、一定の空間範囲にある物すべてを調べるということ。そうした観察の結果、ニュートンが万有引力の法則を発見したように、社会と空間のあいだの原理を見つけられるのではないかと考えた。言ってみればそういうことです。
 デザインサーベイの必要性が叫ばれるようになるのは1960年代の末です。伝統的な都市景観が市場原理の力で無秩序に開発されていくなかで、開発の中にいかに伝統的な秩序を取り込んでいくかが求められていたのです。そのために、空間形態を調べて、ある場所に本来そなわる自律的な社会関係をあきらかにしようとした。そうすれば、社会が変化しても、それにあわせてふさわしい空間をデザインできると考えたのですね。デザインサーベイと言えば、なんとなく街並み保存のための調査みたいになってしまいましたが・・・。建築の場合は特にそうですけど、調査というのは本来、何かを作る、つまり、何かを壊してあたらしい状態を生みだすためのデザインソース探しであるわけです。デザインサーベイの場合はその点が特にはっきりしていました。
 私たちが建築人類学や民族建築学といった切り口で民族社会の住まいに関心をもちはじめたきっかけは、建築の原型的なものへの知的欲求からだと思います。人間と建築をつなぐ大前提のようなもの。建築はすごく多様なものになってしまったけれど、もともとの原型をたどれば、建築が人間にとってどういう物であるのかわかるのではないかと。それがわかれば、今後どんな建築をつくるべきかは自明になる。だから発想として、オレゴン大学がおこなったデザインサーベイと、私たちがやってきた民族建築の調査は、対象も手法も違うけれど、目指していることは一緒だったと言えるかもしれない。また、今和次郎が家の中の物を調べたり、それを引き継いでCDIがおこなってきた生活財生態学も、基本には同じような発想があります。
※写真 韓国・ソウルのアパートの外観 2001
─ そのCDIの調査というのはどういうものだったんですか?
佐藤 1975年にはじめの報告書が出て、1990年代まで数回の調査がおこなわれていますが、家の中にある生活のための用具を生活財と名付けて、それを全て記録するという調査です。それも、今回の「2002年ソウルスタイル」展のようにひとつの家ではなくて、なるべく多くの家を対象にしようとしていました。そのために、生活財リストのアンケートを作って、そのリストに所有の有無を書いてもらうのです。最後の調査時には、リストにあがっていた生活財の点数が4,000品目をこえています。さらに、それらの生活財が家の中のどういう場所をしめているかを写真や簡単な図面で記録する。CDIの調査は、物の使われ方をしらべることで商品開発まで睨んでいましたから、あくまで社会のスタンダードに関心があったのです。つまり、前提として社会なるものがあって、百件なら百件、千件なら千件調べれば、より正しくその社会の一般的傾向がわかるだろうと考えていた。
 ところが、私が韓国で物の調査をしたきっかけはそれとは全く逆でした。もし社会を前提にできるのなら、伝統的な村落で調査をしていた時と同じように、韓国の住居のタイプをしらべ、そのひとつであるアパートにはこういう間取りの違いがあって、調査するのはその中のこの部分であるというふうに迫ったと思うんです。でも、現代の都市を対象にそういうアプローチをしたとしても、たぶんその先に社会や個人のはっきりした像は結んでこないだろうという見通しがあった。なぜなら、例えば自分自身がアパートの住人であるとして、同じ間取りの部屋に住んでいるから、隣人たちと同じにカテゴライズされてしまうとしたら、それでは困るからです。私たちが同じ間取りで我慢しているのは、たいていの場合、別の場所に住みたくても経済的条件が許さないとか、建物の建っている土地の利便性が高いとかいった理由があるからでしょう。自分自身の存在基盤を建物の形式に求めているわけじゃない。だとすると、いかにして同じ部屋の間取りから個別性を引き出すかという問題になります。伝統的な集落を調査する場合には、同じ形式の家にそなわる共通性、いわゆるコスモロジーを求めていけばよかったのですが、アパートの調査の場合はそれとは方向性が逆でした。私たちは、空間では満たされない部分を、リフォームしたり、物を買い集めたりすることで、自分らしく変えている。だったら、個別性を探し出すために物を調べよう。そういう発想だったんですよ。
 
調査のされる家の様子 調査の様子
※写真 韓国・ソウルのアパートと調査の様子 2000

 はじめ、CDI所長の疋田正博さんに調査に関していろいろお伺いしたところ、まず商品カタログを見るようにアドバイスを頂いたのです。私たちが持っている物はほとんど商品だからと。そう言われて、どんなに個別性を出そうとしても、調査対象である物は所詮商品なのだということに気がついてショックを受けた。CDIの調査では、物を商品としてとらえているから、例えば自分の家にあるテレビとデパートで売っているテレビは同じ価値をもつ物として一括されるわけです。私たちは結局、消費社会に生きていて、大量生産された物を使っているわけだから、持ってる物の総体は多分そんなに変わらないでしょう。しかし、デパートのテレビと自分の家のテレビでは、個人がそこにこめている意味合いがまったく違う。だから、今回ソウルの住まいを調査するにあたって一番気を使ったのは、物の種類や数だけではなくて、住んでいる人がそれらの物にこめている意味をどうやって吸い上げるかということでした。具体的には、物の写真を3,200点ほどデジカメで撮影しながら、その物の入手経緯や使い方について聞き取りをやったんです。だから、社会を前提として、どういう風にその社会を表現していくかという発想ではなく、社会の存在そのものも前提にできない状態の中で、徹底的に個人、あるいは個人の周囲の物にこだわることで逆に社会に迫っていこうと考えたのです。住まいの調査をとおして、ある都市社会をあきらかにしようとしたときに、物からアプローチするしか手段がなかったという感じでした。
 

【目次】
イントロ住まいの調査手法住まいの原型フィリピン・ルソン島の民家と日本の古代住居調査作業屋根裏の空間水上生活者バジャウと狩猟採集民プナン何のための住居住居に向けられたエネルギーマイホームの共同研究会消費財としての住居巣としての住居空間と人間関係ホームレス住居と記憶四冊の本重みを失う空間