民族学者の仕事場:Vol.1 佐藤浩司―何のための住居
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─ インドネシアの農民の家、水上生活者とさらにプナンの調査によって、住まいについてのかなり根本的な問題が表に出てきてますね。さっきの家屋に一体誰が住んでいるのかというお話で、自分の家だけど、まあ住まわせていただいてるというそういうところもあるんだなあと私にも分りました。しかし一方では、住まいは徹底的に自分のもの、自分の身体の延長として考えていくというところもあるわけですよね。
佐藤 近代建築に対するインパクトからいうと、狩猟採集民よりも農耕民の家の意義の方がずっと大きいでしょう。近代建築は、ル・コルビュジェという建築家が言った「住宅は住むための機械である」というマニフェストからはじまっています。それに反して、東南アジアの農耕民の家では、住宅は人間が住むためにできているのではなくて、まったく違うもののためにある。それは近代建築的な発想を完全に覆すものだと思います。
─ そこのところは根本的な問題にかかわって、住宅とか衣食住とかいう以前に、人間が生きてるのは自分のために生きているのか、何のために生きているのかという問いがあって、それがまた住まいの中に反映していくわけでしょ?
佐藤 うん、「何のために」ね。それ、とても重要なことですよね。
─ つまり、この場合「住む」という問題なんだけれども、様々な形態、形式があるわけです。そして、そこには人間が命を考える世界を考えるその考え方が反映しているわけですね?
佐藤 例えばインドネシアの農耕民がすごい家を建てますよね。それは、それを建てることによって、彼らは自分の生きている意味を確認しているわけですよ。祖先からずっと今まで続く神話や歴史があって、その中で彼らが家を建てることによって一人前の人間として社会の中に受け入れられ、ある意味で人生が完結するわけです。何のためか? もちろん自分のためですが、それは自分だけで完結することではない。死んでから後のことも含めて。だから、たしかに住宅は実存的な意味の解決の場になっていたと思うんですよ。
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【目次】
- イントロ|住まいの調査手法|住まいの原型|フィリピン・ルソン島の民家と日本の古代住居|調査作業|屋根裏の空間|水上生活者バジャウと狩猟採集民プナン|何のための住居|住居に向けられたエネルギー|マイホームの共同研究会|消費財としての住居|巣としての住居|空間と人間関係|ホームレス|住居と記憶|四冊の本|重みを失う空間|