民族学者の仕事場:Vol.1 佐藤浩司―ホームレス
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佐藤 ホームレスをしたい人もいる。隅田川のホームレスには、すすんでホームレスになっている人もいました。家があるにもかかわらず、帰らないでそこにいるとか。自分の生きがいをある種の社会からはずれたアウトロー空間に求めているわけです。だけど、現実のホームレスは自己完結しない生き方ですよね。今はいいけれど、自分の家族や自分の死んだ後はどうするのかという意味では完結していない・・・。
佐藤 そうでしょう。ホームレス生活を楽しむとしたら、それは社会をはずれているようでいて、社会を前提にしながら、そこに寄生しているわけですから。
※写真 隅田川テラスハウス 1998
佐藤 それをいうと、都築さんの写真に出てくるような一人暮らしの人も、同じくらい非社会的ですよ。一般化できないと思うんだけど、墨田川沿いのホームレスはとてもホーム志向が強いように感じます。青いビニールシートの小屋が一定間隔でならんでいる。近すぎず、遠すぎず。本当に、なんか小市民的な光景ですよ。小さいけれども自分の家を持ちたい、でも隣とあんまり離れたくない。自分の持ち物にしっかり鍵をかけていたりして。
佐藤 あるんでしょうね。ホームレスといっても家をつくっているわけだし、持ち物も多いですから。食べ物はとっても豊かなんですよ。場所さえ選べばいろいろな残飯が出るから。そういう心配はいらないんですけども、まったく無政府状態というわけじゃない。朝起きて隣りの人と挨拶して、キャンプ場でやるような、ホームレスごっこみたいなところもあります。淀川のホームレスも、柵を作って、菜園を作っている人までいましたから。マイホームに対する幻想の反映かなという気もして・・・。ちょっとがっかりした(笑)。
※写真 淀川ガーデンハウス 1998