国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

特別展「マンダラ ─ チベット・ネパールの仏たち」

カトマンドゥ盆地におけるマンダラとしての壺
吉崎 一美吉崎 一美
壺としての身体
生き神クマリ
10.生き神クマリ
壺の入れ子構造の図式には、もう一つ重要な要素があります。ある種の身体もまた壺となって、その中に仏を迎え入れることができます。身体をこの図式に組み入れることで、<大宇宙としてのマクロ・コスモスと人体としてのミクロ・コスモスの一致>が完成します。そしてその迎え入れによって、仏は壺としての身体に宿る(受胎)と同時に、そのままでこの世に出現(誕生)していることになります。仏を宿した身体は、そのままで仏そのものとなるのです。
生き神クマリ(写真10)は、初潮前の少女の身体にネパールの守護女神を宿します。ヒンドゥー教徒はこの女神をシヴァ神の配偶者とします。シヴァ・リンガの世界観では、カトマンドゥ盆地全体がシヴァ神の配偶者である女神の子宮の中にありました。この世が女神の子宮の内と化した現実世界にあって、クマリは自らの胎内にその女神を宿しています。それでクマリの胎内は一転して現実世界となり、クマリの胎内にある女神の子宮もまた現実世界になります。女神はクマリの身体を壺(子宮)にして「受胎」したのですが、同時にそのままでこの世に顕現(「誕生」)しているのです。それでクマリは生き神となるのです。女神の顕現は、クマリの額に描かれた第三の眼で示されています。
 仏教僧侶の身体も同じ構造を持っています。壺の儀礼において、彼らは壺の中に入り込み、その中で仏と出会います。その一方で、彼らは自らの身体を壺として、その身体に仏を顕現させる(仏そのものとなる)のです。私たちが気付かないうちに、彼らは第三の眼を開けています。先に触れた灌頂の儀礼には、新たに再生した僧侶が象徴的に開眼するという儀式が含まれています。観音像の魂入れ儀礼にも開眼の儀式があります。