国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

特別展「マンダラ ─ チベット・ネパールの仏たち」

カトマンドゥ盆地におけるマンダラとしての壺
吉崎 一美吉崎 一美
マンダラとしての壺
この壺は実はマンダラの原型でもあります。ネパールの仏教では、この壺がマンダラとして機能しています。先の観音像の塗り直しで説明しましたように、塗り直しの間、観音の魂は壺の中に安置されています。塗り直しが終わると、魂は再び像にもどされます。
この移動の儀礼は、古くなったり、破損したりした像の修復にともなう、再度の建立完成儀礼といえます。密教の権威的な儀礼テキストでは、この時にマンダラが制作され、そのマンダラに出現した仏(ここでは観音)が像に移ることになっています。ところがここで実際にマンダラが制作されることはありません。壺がマンダラの代わりになっているからです。壺と像は五色の糸で結ばれ、マンダラとしての壺に宿る観音の魂は、それを通路として像に移るのです。五色の糸はマンダラの「五色界道」にあたります。それはマンダラの中央本尊と周囲の仏たちのグループとの境界線であり、仏たちが出入り往来する通路であると解説されています。
壺はどうしてマンダラになるのでしょう。その答えは『初会金剛頂経』というテキストにあります。そこでは、歴史上の仏陀である釈尊がまさに悟りを開こうとする時に、仏たちは色究竟天という天界に集まってマンダラを形成し、一瞬だけこの地上に姿を現して釈尊を激励した後、すぐに須弥山の頂きに飛び去って釈尊を見守ったと語られています。 色究竟天は有頂天ともいいます。そこは物質が極限にまで純化された世界です。その先にはもはや物質や空間は存在せず、だた純粋な精神のみが活動しています。仏はそのまたはるか彼方から呼び招かれるのです。須弥山はこの世(器世界)の中心にそびえ立っています。儀礼の壺に満たされた聖水は、太古のカトマンドゥ盆地の湖水であると同時に、この色究竟天の象徴とされます。また壺の外形は須弥山をなぞらえています。その壺が、釈尊の子孫を自称する僧侶たちによって儀礼の場に置かれます。こうして壺は神話上の三地点を同時に象徴しています。しかもその中には仏が宿っています。壺に宿った仏は、そのままでこの世に顕現していました。こうして壺はマンダラになるのです。
巨大な立体マンダラの中で神聖な空間を体験される時、仏の眼を感じ取って下されば幸いです。壺の眼は、壺を外側から眺める時にしか見えません。壺の内側に立つならば、その眼はいったいどのように現れるのでしょう。