国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』 ─ 20.水があってこそ

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』

20.水があってこそ
 水があってこそ、水路がある。
 長(おさ)がいてこそ、ムオン(くに)がある。
 
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 黒タイの年代記説話「父祖の征戦物語」は上の文句で始まります。キンは、水がせせらいでいるのをほとんど聞くことがないような低いところに住んでいるため、黒タイや白タイを山地民とよびます。しかし、白タイや黒タイは、水田耕作ができないような高いところには原則的に住みません。しかも盆地での灌漑稲作こそがかれらのアイデンティティと深く結びついているので、盆地民とよぶ方がまだ正確です。上の文句がいう「水」とは、単なる水ではなく、水田のための水の意味でしょう。
 
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 実際、黒タイは水をさまざまに管理して用いてきました。どこのムオンでも上流に堰を築き、そこから用水路を築いて灌漑します。その堰の場所は神聖な儀礼の場所でした。また、山から流れ込む小川が少ないところでは水車で灌漑します。

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 水車の動力はいろいろな役に立ちます。昔はそれでサトウキビを絞りました。今見られる水車小屋はたいがい、米などを搗くか、綿打ちをするためのものです。一方、淵がよどんでいるところでは橋を吊り、あるいは竹でイカダを組みます。
 昔、黒タイのムオンの長は、ムオンの中心に、水の精である龍がすむという神聖な「ムオンの池」を掘りました(15参照)。そして毎年、そこで水牛を殺してムオン全体をあげて盛大に祭礼を行いました。ムオン全体での水の管理がムオンの安定の重要な一要素だったからでしょう。「治」という漢字が「さんずいへん」なのは、昔の中国において、水を治めることが人を治めることに直結したからと言われますが、「父祖の征戦物語」の始まりの文句にも同様の観念がうかがわれます。
 
[2002年11月]
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