樫永真佐夫『ハノイの異邦人』 ─ 29.調査と人づきあい
29.調査と人づきあい
調査対象の村は一つの村で十分と思ってきました。ある村のある人たちを、うーん、なるほど、と呻らせてみたい。ぼくの研究の目的とはせいぜいそういうところでしょうか。しかし、いつも一つの村のことを考えながらも、ぼくの場合、諸般の事情から、いくつもの村を転々とする結果になってきました。だからこそ、より強く思うのかもしれません。ある特定の人々との出会いがあり、その人たちと調査を通して何十年も関わっていけることは、人類学者として、人間として、しあわせなことだ、と。
グループでのサーベイ調査にも、何回かは同行しました。そこでの調査はとうぜんフォーマルなインタビューが中心になります。フォーマルインタビューでは、こちらの知りたいことを、こちらが設定した時間と場所に、こちらが設定した順序で聞いていくことになります。そのインタビューデータの妥当性についてはともかく、そういうとき、データ収集の要領よさにとまどういっぽう、自分の調査に時間をかけている割に、いかに少ししかデータが取れていないかを恥じることになります。
考えてみれば、ぼくの調査はいつも無駄の連続です。ある人にたった一つのことを聞くために、その人の家に行く途中、他の人に呼び止められて食事に誘われ、そのまま目的を果たせなかったり、何時間もある人が帰ってくるのをその人の家で待ちながら結局、子守していただけに終わったり、相手はちゃんと目の前にいるんだけど、そのことを聞くのに、どのタイミングで、どういうふうに聞けばいいだろうか考えながら待っていたり、、、ばかばかしいようなことがたくさんあります。
でも言い訳をすれば、調査とはいえ、人との関わりですからね、というところでしょうか。調査で訪ねた村の人たちとは、いつかまた、どこかで顔を合わせても恥ずかしくないようにありたいものです。
[2003年2月]