国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』 ─ 22.「沈黙は金(カネ)」にならない?

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』

22.「沈黙は金(カネ)」にならない?
 県や省の中心部にはかならず市場があります。ソンラー省やライチャウ省などでも市場に店舗を構えて商売しているのはほとんどキンです。これらの地域では、長い間、黒タイや白タイが政治的、人口的に優勢でしたが、もちろん当時から市場はありました。しかしかつては中国人が多く商売をしていて、キンはもっと少数でした。これらの地域がベトナムになったあと、キンがたくさん海岸部から来ましたが、まだたくさんの中国人が市場で商売していました。中国人が市場から完全に姿を消したのは、中越戦争(1979)がきっかけです。
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 キンは商売がうまいといわれます。たしかにキンの商人は、通りかかる人を見てつかまえては客の要望を聞き、なんとか客の要望にこたえようとします。同時に、いろいろな質問をあびせながら客の心のスキ間をさがし、そこに入りこんで、たくみに利益を得ようとするのです。
 たとえばキンからものを買おうとすると、「これ、いくら?」とこちらが聞くよりも前に、恐るべき饒舌が始まります。「何が欲しい?」「韓国人か?中国人か?」「ここで何しているんだ?」「何歳だ?」「ベトナムは貧しいか?」「結婚しているのか?」「給料はいくらだ?」「家が恋しいか?」などなど。
 こっちも相手の質問をかいくぐりながら、値段を交渉し、ようやく買いたいものを手に入れることができます。売り手も買い手との会話から敏感に情報収集し、将来のもうけに備えていることでしょう。
 いっぽう、他の民族の人からものを買うのはあっさりしたものです。値段を聞き、売り手がいうとおりの額を払えばすみます。売り手が買い手にいろいろたずねたりしません。
 ムオン・クアイで、冬にぼくのうちのおばさんがセリを売りに市場に行くのに何度かつきあいました。彼女は同じ村の人と市場の端に並んでしゃがみ、話しながら客が来るのをただ待っています。客をよびとめたりはほとんどしませんし、客が来てもよけいなことをいわず、言い値で買ってくれる人には売るし、でなければ売らない、ただそれだけです。全部売れるか、市場から人がいなくなるまで、ものも食べずに何時間でもそうしているので、ぼくはときどきおこわやお菓子を差し入れに行きました。宵時まで一人でしゃがんでいる彼女を、「もう帰ろうよ」と呼びに行ったこともありました。
 こういう商売のありかたの違いは、キンと他の民族との人間関係の作り方、礼儀のあり方とも関わっているでしょう。キンにとって、他人のことに関心をもつことは他人を尊重していることを意味するようです。だから、他人の領域なんてものはありません。どこでもズカズカと最初から入りこんで、自分が相手に関心を持っていることを示します。そしてキンはいろんな場面で非常に饒舌です。かれらはいわば「饒舌の文化」なのです。ここでは正直さはかならずしも美徳ではありません。つねにさまざまな価値が「もうかること」と天秤にかけられます。
 
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 いっぽう、黒タイや白タイは、親しくなる前にいろいろ相手のことをきくのは不作法だと考えています。大きな声で知らない人に話しかけるのも無礼です。過度に自分を売りこむことも好まれません。彼らは正直さを尊重します。かれらは、むしろ「寡黙の文化」といえるかもしれません。ぼくの印象では、モンはとくにこういう「寡黙の文化」の傾向が強いように見えます。
 キンの饒舌、これこそが20世紀にフランス、日本、アメリカを追いはらって、キンが今のベトナム各地に入りこんだ最大の武器でした。中国、ソ連、北朝鮮の援助、それがたとえどんなに大きかろうと、やはり饒舌という武器がなければ、長い戦争を戦い抜き、南北統一という名のもとに歴史上最大のベトナム領土を完成させることはできなかったでしょう。そしてベトナムはこの饒舌を武器に、今度はたくみに経済発展を遂げようとしています。
 むかし、同じ野菜をキンとモンが売っていたらどちらから買うか、町のキンに聞いてみました。こたえは「もしそのキンが知り合いならその人から買うのが人情だが、その人が知り合いでなければ、モンから買う。だって、モンは正直だから。」
 キンが商売でもうけているのは、饒舌ゆえのように見えます。しかしじっさいには饒舌ゆえに信用をなくしていることも多いようです。
 
[2002年11月]
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