国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』 ─ 26.死の生々しさ

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』

26.死の生々しさ
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 ずいぶん前に読んだ記憶なので、まちがっているかもしれません。『遠野物語』を評して、「この物語には無数の死が散らばっている、元来民俗学は死と隣り合わせの学問だ」と言ったのは、三島由紀夫だったでしょうか。とにかく、黒タイの村では、死は今でも非常に身近です。
 たとえば宴会にしても、家畜を殺すことから始まります。人間は殺生をしなくては生きていけません。こんな当たり前のことに今さら気づかなくてはならないなんて、おそらく現代日本の都市生活の方が奇妙なのでしょう。
 ぼくがいる間、いない間に、何人もの知人が、なんだか「あっけなく」死んでいきました。幼い命、若い命、老いた命、さまざまです。弱っているな、と感じ始めて、そんなに経たないうちに亡くなりました。知人の葬式に出席しながら調査記録をとるたびに、人類学って因果な商売だなと思います。
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 人類学の調査はしばしば人の話を聞くことから始まります。古いことを聞こうとすると、誰々はこういっていた、という返答にしばしば出会います。そういうとき、その人に会いに行くよりも前に、その人がまだ生きているかどうか、まず確認しなくてはなりません。「もう、いってしまったよ。」と返答されると、一抹ながらも空漠たる思いがわくものです。
 黒タイは亡くなった人を家の中にまつります。家の中に亡くなった祖先をまつる空間があり、それが家の中の非常に大事な空間です。白タイの家では、中国式の祭壇を安置しますが、黒タイの家だと死んだ祖先のために一間を準備します。とくに貴族の家だと、そのなかがさらに2つに分かれています。その手前の方がその家の亡くなった祖先の間、奧が貴族の姓をもつ故人すべてのための間です。
 
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 家には生者と死者が同居しています。家とは、生者にとっては生きるため、死者にとっては生者の世話をし、また生者に世話してもらうための空間です。そういう家を建てるときには、どの日に棟上げをするか占います。そのときに「パップ・モ」という呪術文書を参照にしますが、どの日がいいかは、本の中に描かれた、生と死を示したイメージから判断されます。床下の家畜も家人もみな笑っている絵の日がいい日で、家人も家畜も死んでいる絵の日は悪い日です。文書といえば、「クアム・トー・ムオン」という有名な年代記があります。その文書に登場する人はすでに亡くなった祖先ばかりですし、またその文書自体が葬式で読み上げるためのものです。
 
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 日常生活の細部に、死との関わりが散見されるのは、日本の都市生活とて同じです。しかし、あたかも死が忌避されふだん見えないところに遠ざけられてしまった社会と異なり、黒タイの村のように、日常生活のなかで死そのものが身近なところでは、死も生もけっして観念的なものではないとより実感するのです。
 
[2002年12月]
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