樫永真佐夫『ハノイの異邦人』 ─ 32.旧正月は新正月
32.旧正月は新正月
日本では、陰暦を旧暦とよび、陰暦1月1日を旧正月とよんでいます。しかし、「テト攻勢」などで知られるように、キンがテトとよぶ陰暦の正月がベトナムの一般的な正月です。
ターイの中でも、キンとの接触が古い白タイは、古くからテトをもっとも大きな年中行事として祝ってきました。テトに白タイのお宅に上がってみると、中国式の祭壇には桃李の若木が飾られ、祭壇の上にはお菓子、果物、正月餅などがたくさん供えられていました。
いっぽう、黒タイは伝統的にはテトを盛大に祝いませんでした。正月の祝いといえば、セン・フオンという世帯レベルでの簡単な祖先祭祀をする程度でした。中国やキンとの文化的、政治的接触がより希薄だったからでしょう。
では、黒タイにとって最も重要なかつての祭礼というと、セン・ムオンとよばれる「くに祭り」です。セン・ムオンは毎年決まった日に行われるものではなく、だいたい陽暦4月頃に行われました。これは、各盆地ごとの黒タイ貴族の祖先をまつる祭礼でもありましたが、そのときには、くにの住民がみな参加して、水牛を供犠して共食したり、踊ったり、太鼓を叩いたり、いろいろな遊びをしました。
このセン・ムオンは、植民地戦争と社会主義革命によって、1954年に黒タイの地域が名実ともにベトナムになると廃止されました。理由はいくつかあります。社会主義化で従来の階層制がくずれたこと、たびかさなる戦争のなか、大きな祭礼を開催する精神的、経済的余裕がなかったこと、自治区時代の後半(1960年代後半)から急速にキンへの政治的、文化的同化が進むなかで民族独自の祭礼開催が自粛されたことなどです。こういうベトナム化の中で、黒タイはセン・ムオンを廃止し、セン・フオンとセン・ムオンが結合した新しい黒タイ式正月(テト)祝いを作り上げたのです。
黒タイの家にはもともと祭壇はなく、祖霊(家霊)が宿る間をもうけるだけですが、最近はキン式の祭壇をもうける家も増えました。家霊の間、あるいはキン式の祭壇に桃の木やさまざまなお供えをしています。
祭壇にはキンがバインチュンとよぶ正月餅もあります。これを黒タイは、カウ・トムとよんでいますが、キンのバインチュンと違って四角ではなく、かまぼこ型のものを2つ背中合わせにして竹籤でくくるのです。中身もちょっと違います。キンのバインチュンと違って、ブタの脂身と豆をやたらにはいれません。
テトの遊びといえば、トッ・コン(キン語でネム・コン)という玉投げが有名です。ひもつきの飾り玉をキャッチボールしあうのです。だいたいテトの2日目くらいに女の子たちが飾り玉をつくり、3日目くらいから着飾って広場や道路にでて投げ合って遊ぶのです。
今年は4日に国道を走ったのですが、あまりトッ・コンをする姿を目にしませんでした。村で聞いてみると、去年くらいからトッ・コンをあまりしなくなったということでした。テレビが村に来たり、バイクを買う家がでてきたりしたせいかもしれません。日本の正月風景からいつしかたこ揚げ、独楽回し、はねつきなどが消えたように、トッ・コンも黒タイの正月風景からいつしかなくなってしまうかもしれません。
[2003年3月]